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最新の絵日記ダイジェスト
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2005/09/25(日) 「水のほとりに植えた木」大嶋博道牧師
フレンズサンデー礼拝 (聖書)エレミヤ17:5〜8
序 論:
 私たちの人生を豊かにするものが4つあります。 
@仕事―人生に意味を与えるもの。
A愛―生きることに潤いを与えるもの。
B場所―帰属意識を植えつけ、安心感を与えるもの。
C目的―人間はいかなる存在か、を明らかにするもの。
 これらのものが一つに統合されて神に根を下ろすときに、私たちは豊かに祝福され、幸いな人生を歩むことができるのです。

本 論:
今朝の聖書のテキストには「二つの道」が対照的に記されています。
@呪われた道―人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主を離れ去っている人それは丁度、荒れ地の裸の木と同様で、恵みの雨を見ることがない。さらに人の住めない不毛の地、炎暑の荒れ野を住まいとするようなものである。
―これはまさに「絶望」そのものであり「死」を意味しています。
A祝福された道―主に信頼する人、主がその人の拠り所となって下さってる。それはちょうど、水のほとりに植えられた木で水路にしっかりと根を張り、暑さを逃れ、葉もしぼまず、干ばつの時にも心配なく、時がくると豊かな実を結ぶことが出来る。
エレミヤの預言と同じ内容のことが詩編1:1〜6に記されています。

さて、今日において「豊かに実を結ぶ人生」の条件をまとめておきましょう。
(1)未完成(不完全)を受け入れ、足ることを学ぶこと。
(2)自らの弱さを誇ることが出来ること。(パウロに与えられたトゲを参照)
(3)未来を神に委ね、今に集中して最善を尽くして生きること。
(4)与えられたものを分かち合うこと。英語の[share with〜]は相手との分かち合い。
(5)神に人生の土台を据(す)えること。
水のほとりに植えられた木は決して枯れず、葉も青々と茂り、豊かに実を結びます。

まとめ:
人生にはナビゲーター(海図)もマニュアル(手引き・道案内書)もありません。また、人生のリハーサル(下稽古)も出来ません 。神のみ手の中に自らを委ね、自分の現在地を確認しながら、目的地をしっかり見つめながら歩みたいものです。
神の川は豊かな水が満ちています。あなたの「人生の根」をそこに下ろしませんか!

2005/09/18(日) 「この家の繁栄の約束」 大嶋博道牧師
 献堂10年記念礼拝説教   ハガイ書2:1〜9
はじめに:
「新会堂」が完成し、「献堂式」を挙行してから10年が経過しました。10年間の歩みを一言で述べれば「エベン・エゼル」すなわち「神は今まで私たちを助けられた」の聖書のみ言葉に尽きると思います。(1サムエル7:12)
序 論:
 さて、「献堂10年記念礼拝」にあたり、与えられた聖書のみ言葉はハガイ書2章であります。
 BC538年ペルシャのクロス王はバビロン捕囚の民を解放し、エルサレムに帰国命令を出しました。この時ユダヤ人42,000人が総督ゼルバベルと大祭司ヨシュヤの指揮のもとに帰国したと言われています。彼らの関心事は、70年の間に廃墟と化し「神殿再建」に着手することでした。
本 論:
 このテキストから学びたいことは、一つの聖なる計画を遂行するために必要なことは何か、どのような信仰が求められるか?と、いうことです。

(1)勇気を出すこと―その根拠は「神が共におられる」という信仰
 「勇気を出す」―英語では「Be strong=強くあれ」と訳されています。勇気と言うのは、「どんな試練や困難が襲ってきても決して揺るがない信仰を持ち続け、確信をもって生活すること」です。なぜなら、神が共におられる、神の霊が私たちの心の内に留まっているのですから。

(2)現在は過去にまさり、未来は現在を完成させるという信仰
昔の神殿とはソロモンが建築した黄金の第一神殿のこと、この神殿とはハガイとユダヤの民がこれから建てようとする小さな神殿です。それは、かつてソロモンが建てた神殿と比較するとあまりにも小さく、貧弱に感じられたことと思います。
 しかし、預言者ハガイをとおして語られた神の預言は2:9なのです。これは、「現在は過去にまさり、未来は現在を完成させる」ということです。目に見えるところは小さくて貧しく見えても、「銀はわがもの、金はわがもの」と言われ、すべてを所有される神は栄光に満ち、過去よりも現在をさらに祝福し、喜びに満ちたものにして下さるのです。

(3)繁栄の約束に対する信仰
「繁栄」とは多くの実を結ぶことです。信仰生活のゴールは「神様の豊かな祝福」です。それは、どんなに忙しくて時間がなくても日々、祈りと賛美とみ言葉に聴き続けること、そして可能な限り「礼拝者」として忠実に歩むこと―それが祝福と繁栄の秘訣です。

2005/09/11(日) 「しぼばない花」 大嶋博道牧師
 敬老の日記念礼拝 (聖書)ペトロ一1:3〜4  

序 論:    
 今日は敬老の日を記念して礼拝を守り、メッセージの後、祝福の祈りの時を持ちたいと思います。
 かつては「齢(よわい)70古来稀なり」と考えられ、70歳を古希と言いましたが、現在は平均寿命が80歳を超えるまでになりました。
 しかしながら、老いは確かに厳しい現実です。旧約聖書のコヘレト12章に老人の状態が「喪失の過程」として如実に描かれています。
旧約聖書には「人はみな草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。」というみ言葉があります。(イザヤ40:7〜8参照)これは自然的生に生きる者の姿です。人生のはかなさを例えた言葉でもありましょう。人間は生まれ、生きて活動し、やがて老いて病み、最後は死ぬ―これが現実です!この現実を突きつけられると、私たちは悲しく、空しく、絶望感を味わい、諦めにも似た虚無が心を支配する時もあります。

本 論: 
 しかしながら、今朝の聖書のみ言葉には、人間の宿命を覆すほどの驚くべき事実が語られています。
 ここには、3つのことが私たちに約束されています。
(1)神は私たちを新しく生まれさせてくださる。(霊的新生です)主イエスを信じて新しく生まれ変わり、主イエスと日々、結びついた霊的に新しくされた人生を歩むことを意味しています。

(2)神は生き生きとした希望を与えて下さる。
 霊的に新しく生まれたキリスト者の特徴を著者は「いきいきとした希望」と表現しました。「希望」とは、復活の主イエスによって与えられる生きる力、新しい存在としてのキリスト者「生」の現実です。

(3)神は永遠の命を与えて下さる。
1:4には「朽ちず、汚れず、しぼまない財産」と記されています。「財産」―これは命の恵み、祝福、永遠の安息、でありましょう!
「しぼまない」と訳されたギリシャ語のアマラントスは「色あせない」「新鮮さを失わない」「衰えない」「枯れない」「消え失せない」という意味です。」神さまがくださる永遠の命のことです。私たちが、しおれたとき、生きる力を失ってぐったりするとき、枯れてしぼんでしまうとき、神は私たちに霊的ないのちを与えて下さるのです。ですから、決してしぼまないのです!

まとめ:
 愛する兄弟姉妹、今朝、確信しましょう!
「夕暮れになっても光がある」ことを!主イエス様と結びついた人生は、たとえ老人になっても決してしぼまないのです!

2005/09/04(日) 「汝のイサクを献ぐべし」 大嶋博道牧師
総員礼拝 (聖書)創世記22:1〜14
はじめに:
今朝はこのところから、神様の命令である「あなたのイサクをささげなさい」の持つ意味を共に学びたいと思います。
序 論:
アブラハム物語のポイント
(1)一大転機−75歳の時に神からの声を聞いて、約束の地(見知らぬ土地)に旅立ったこと。(神への服従)
(2)神の約束に対する信頼−神は彼に子孫と土地と祝福を約束された。その約束の一つの実現の最初として男子、イサクが与えられた。
(3)大いなる試練ー独り子イサクを神への生け贄として献げるようにと命じられた。聖書は何も語らず、アブラハムは従順にその命令を実行するために、示された山にイサクとともに向かっていった。

「イサクを献げること」で神が求めておられるもの
@アブラハムの献身
 アブラハムにとってイサクは自分のすべてであり、命であって、イサクを献げることは、彼自身を献げることだったのです。
Aアブラハムの服従
 彼はイサクを生贄として献げることを即座に無条件で従いました。しかも、完全に従い通したのです
Bアブラハムの信仰
 彼のこのような献身と服従は、彼の信仰から生まれたものです。その信仰とは、神様への絶対的な信頼です。

本 論:
「汝のイサクを献ぐべし」が現代のクリスチャンに意味するもの
神様がアブラハムに命じられたこの言葉は、単に自分の拠って立つ大事なもの、絶対に手放したくないものをまず神様に献げなさい、という「全き献身」への勧めだけでなく、むしろ、私は次のように受け止めています。
「これは、私たちの信仰生活の本質的なことを気づかせる神のメッセージである。」と。
 私たちが気づくべき信仰生活の本質とは、
(1)神の約束への無条件の信頼と期待(創世記12:1〜4、15:1〜7)
(2)独り子イサクへの(自分の家族・親族など親しい人の名前をイサクのところに入れる)無条件の真実な愛
(3)最も大切なものを献げる(手放す)ことへの平安
 この3つです。すなわち、神への信頼と期待、身近な人に向けられる愛、そして献げることに対する心の平安です。
ちなみに、神第一の生活とは、普段の生活が神と結びついた歩みであること、「人生の節目」では、神のみ心を求め、それに従う、という信仰生活の有り様です。

まとめ:
 神は私たちにも「汝のイサクを献ぐべし」と、命じておられます。
@神の「祝福の約束」に対する無条件の信頼と期待 
A家族や共に生きる「人生の同伴者」に対する無条件の真実な愛
Bそして、大切なものを主のために献げることへの平安
神様は、聖書をとおして、説教者のメッセージをとおしてあなたに「汝のイサクを献ぐべし」と今日も語りかけておられます。日々、真摯に聴き取り、心から従いたいものです。


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