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2006/10/22(日) 「祝福される安息日の守り方」畑中康雄勧士
(聖書)マタイ12:1〜8

今朝は安息日(聖日礼拝)について考えてみたいと思います。
12章はイエスの行われた事に対して、パリサイ人が非難し、それにイエスがお答えになると言う会話の形で説教が展開されている箇所です。ここではイエスは旧約聖書の例を語る事によって律法や戒めに細かな規定があるが、人の命が守られ、人が生かされるためには、その規定が破られる事がある、と言う事を語られたのです。つまり、律法に対する自由を語られたのです。
律法は本来人を生かすものなのです。それ故に現に生きている人間、特に困難、弱さの中にある人間に対しては律法からの自由は許される、と主イエスは考えられました。即ち「愛〜神の教え」は全てに優先する律法であり、愛は人間の欠乏・必要を満たさなければならない最優先の事項であると教えられました。

これらの事を私たちに良く理解させるためにイエスは更に次のように言われています。
@「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」と。つまり、安息日は人のために神によって定められたもので、安息日の細かい規定を守るために人が存在するのではない」と言う事がその第1の事です。
Aもう一つ教えられている事は「人の子は安息日の主である」という事です。「人の子」とは「主イエス」の事です。人の子イエスはまた、神の子、イエスでもあります。このイエスが安息日の主であると言う事は「安息日のあり方を決める」のは主イエスであると言う事です。

さて、ここに1冊の本があります。その本は「明るい日本のクリスチャンホーム」と言う本です。
この本は、やむを得ない事情で聖日礼拝を守れない場合にどうしたら良いのか、ということを具体的に教えてくれています。日曜日に礼拝を守れない時には、一週間のどこかの時間帯で
礼拝を守るという礼拝に対する姿勢を持ちたいものです。
「日本における聖書的教会建設のために、今日の日曜日問題を適正に解決がなされねばならない」と言うこの本の最後の一行と「礼拝出席こそが最大の奉仕である」と言う私の信条をこのメッセージの締めくくりの言葉とさせていただきます。

牧師からのコメント
淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生は、安息日の本来の語義「中断」すなわち「止めること」と述べています。すなわち、仕事や学び、家庭生活のためにこの世に向かっていた私たちの心を神に向けるために中断する日である、と言うのです。
「礼拝」は喜びと感謝をもってなされるべきもので、義務や習慣からなされるものではありません。主の復活を心から喜び、永遠のいのちをいただいた私たちが感謝をもって神に応答する日であります。日常生活が多忙で煩雑で心もからだも疲労しているからこそ、神に向かい、霊的いのちをいただく必要があるのです。

しかしながら、健康上の理由で、あるいは、やむを得ない仕事や学校行事や地域の働きや家庭の都合で礼拝に出られない時があります。そのような時には、まず最善を尽くして礼拝に出席するように努力をすることが大切です。礼拝に出ることが出来ない時には、主のみ前にひれ伏してゆるしを求め、自分と教会の祝福を祈り、心に平安を得てから自分のことを始めましょう。そして、土曜にでも月曜日でも、時間を見つけて教会に集い、み言葉を聴き、牧師に祈っていただきましょう。

神は6日間働いて、7日目には自分の仕事を離れて安息されたのです。神がです。ならば、人間はなおさらではないでしょうか!この世の働きを中断する勇気を持ちましょう。
礼拝をいのちがけで守ることは大きな祝福の基です。信仰生活の健全なリズムです。この原則を忘れないで信仰生活を送りたいものです。祝福をお祈り致します


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