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2006/11/12(日)
「子どもを育む神」大嶋博道牧師
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子ども祝福礼拝(聖書)出エジプト1:6〜21 序 論: 江戸時代の川柳に「大名を胴切りにする子安婆(こやすば)」というのがあります。 子安婆とは,現在の助産師(助産婦)です。何人たりとも大名行列を横切る事が許されなかった時代,子安婆だけは例外で、彼女たちは新しいいのちを取り上げるために、勇気を振り絞り,大名行列を胴切りしたのです。そして大名たちもそんな彼女たち咎めなかったのです。大名の権威も,人の命の前には一歩を譲ったというわけでしょう。 旧約聖書の出エジプト記1章に登場するシフラとプワも時のエジプトの権力者ファラオ王に果敢に挑んだ助産婦でした。「イスラエル人の女性が男の子を出産する時には,その嬰児を殺せ」(1:16)との理不尽な命令に従わず、新しいいのちを取り出し、新生児と母親をひたすら保護したのです。
助産婦たちはどうして赤ちゃんのいのちを守ることができたのでしょうか? @神を畏れていた。(神に一途に信頼し、従っていたから) A神より恵みを受けていたから。(賢いチエ(機転)を与えられていた) B元より、いのちは人のものでなく、神の所有であることを知っていたから。 私たちは、神が,どれほどの熱き思いで私たちの誕生を喜び,その人生を祝福しよう としておられる事かを知らなければならない。(イザヤ書43章4節) 本 論: 今朝、私たちは「いのち」に関して幾つかのことを確認しておきたい。 (1)いのちの根源は神にある(いのちの所有者は天の父なる神) 赤ちゃんや子どものいのちは親の所有でもなく、本人のものでもない。ただ神様から預かった貴いものなのです。創世記2:7にあるように、「神の息を吹き入れられて」人は初めて霊的な生きた存在となった。このいのちの所有者であり支配者は神なのです。 私たちは神から預かった人生を生きるだけです。(2)神はひたすらいのちを育まれる
(2) 「育む」とは守り、養い、支え、導き、大切に扱われること。どんないのちであっても人のいのちは「高価で貴い」のです。優劣をつけることはできない。神は私たちを「宝の民」と された、ということを心に刻みたい。(申命記7:6〜8)
(3)神はいのちを貴ぶ人を祝福される 昨今、人のいのちがどれほど軽視されているか、いい加減に扱われているかと深く思わされ、嘆く。虐待、いじめ、凶悪犯罪など。決してあってはならない。生まれてくる新しい いのちを守り通したシフラとプワは後に「子宝に恵まれた」とあります。子宝とは家族・家のことで、単に子どもに恵まれただけでなく、おそらく生涯、家庭が豊かに祝福されたのであろう。人のいのちを育む者は、必ず恵まれ、祝福されるという証しであります。
まとめ: 今、子どもの小さないのちは傷ついている。痛んでいる。今こそ、私たちは子どものいのちを守り、育んでいかなければならない。神様は豊かな愛をふり注いで子どもたちのいのちを育んで下さることを信じて、私たちも子どものいのちと向き合いたい。子どもが大人に成長する日まで!
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