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2006/12/31(日) 主の御計らいを覚えて」大嶋博道牧師
年末感謝礼拝 (聖書)詩編103:1〜5 

はじめに:
2006年も残すところあと一日。この一年を振り返って、恵みを数えたいと思います。
●クリスチャンの生涯の幸せは詩編23編6節「恵みと慈しみはいつもわたしを追う」とあるように「恵みと慈しみ」と言う良きものがいつも私を追いかけてくる(伴う)生涯であります。これがクリスチャンの本来の幸いであります。

 詩103編2節で詩人は、「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」と、告白しています。主の御計らい(よくして下さったこと)は次の節以下に具体的に述べられています。これは信仰生活の中で私たちの多くが経験することでありましょう、
@全ての罪が赦され、A心身の病が癒され、B命を墓からあがない出してくださり(死の危険から救ってくださり)C慈しみと憐れみを授け、D良いものを満ち足らせて若さを新たにしてくださることであります。
恵みと慈しみを「トブ(よきもの)」と言います。神様はこの一年、私たちにこれらを豊かに与えて下さいました。
 
●私たちは、それでも、疲れた時、不幸な時、思い通りにならない時などは、主が良いように計らってくださったと思えないこともあります。しかし、むしろそのようなときこそ、主は私たちの近くにおられ、配慮をもって導いて下さるのです。ですから、このような時も、感謝を忘れないようにしたいものです。

●この1年を振り返ってみて全てが良き事ばかりではなかったかも分からないですが、良き事で無かったその試練の中に、苦しみの中においても神様が働いてくださった事を覚えて感謝出来るようにしたいと思います。神様は「神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くと言うことを、わたしたちは知っています」とロマ8章28節にある通りです。

●神の召しにふさわしく歩む、と言う今年の教会標語を思い起こして反省と感謝を以て2006年を終わりたいものです。全ての事に感謝をしましょう。そして「主の御計らいを覚えて」感謝しましょう。新しい年の幸いをお祈りします。

2006/12/24(日) )「これがあなたがたへのしるし」大嶋博道牧師
クリスマス礼拝 (聖書)ルカ2:8〜14

序 論:
 クリスマスはイエス・キリストがお生まれになった日でありますが、もう少し神学的な言い方をすれば、「神の受肉、すなわち神が人となられた日」であります。
ルカは具体的にこの事実を伝えています。
  @すべての人の「喜び」を告げる
A今日、ダビデの町(ベツレヘム)に救い主(メシア)が生まれた。
B家畜小屋の飼い葉桶の中に、布にくるまって寝かされている乳飲み子 これが「救い主メシアのしるし」である。
「しるし」とは、目印(a mark)とか証拠(evidence)という意味で、飼い葉桶に寝ている幼な子が大きな喜びであり、真の救い主であるしるしだ、というのです。

本 論:
さて、ある神学者が「飼い葉桶にすべての人にとっての永遠の宝が存在する」と言いましたが、今朝、クリスマスに際して二つの大事なことをお伝えしたいと願っています。
(1)「発見する」ことの大切さであります。
 発見というのは、わたしたちがまだきづいていないもの、隠されているものに気づくということです。それは、新しい出会いであり、驚きであり、また喜びであります。
「クリスマス物語」の中には、その「発見」が描かれています。

@イエスの母マリアは自分の胎内に一つのいのち、救い主が宿っていることを発見します。マリアは自分の胎内に一つのいのちを発見し、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と告白しました。(ルカ1:47)

A羊飼いたちは天使の告知を聞いて、その言葉に導かれて、自分たちの救い主として生まれたイエスを家畜小屋の中の飼い葉桶の中に発見しました。羊飼いたちは救い主を発見し、それを人々に伝え、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。

B東の国の博士たちは、不思議な星に導かれてエルサレムにやってきました。彼らはイエスの誕生の場所を示す星に導かれてついに、家畜小屋に救い主イエスを発見したのです。彼らはその星を見て「喜びにあふれた」と記されています。

これらの人たちに共通しているのは、何も発見するものがないと思われるところ、価値がないと思われるところで最も大切なものを発見したということです。それは「永遠に消えない、
終わりのない喜び」の発見でした。

 クリスマスは「この宝」を見出す日です。皆さんも神様が備えておられる永遠の救いの喜び、希望の喜び、平安の喜びを発見して下さい。

(2)「献げること」の大切さ
 クリスマスは神がイエス・キリストにおいて人間世界(コスモス)に「献身された日」であります。(ヨハネは3:16参照)
私たちに対する神の献身に応えて、私たちも「互いに愛に生きよう」と決意する日であります。
「献身する」というと何か自分を犠牲にして相手に尽くすという重いイメージがあり、とてもそんなことは出来ないと躊躇したくなりますが、実は「人のしあわせのために、自分に出来る一番いいこと」を見つけてやってみることです。

まとめ:
 クリスマスは発見する日です。本当の喜びがどこにあるのかを、そして、それを手にした時にこんどはそれを必要としている家族や近隣の人たちに贈り物として献げる日です。
愛を分かち合う、喜びを分かち合う幸せを分かち合う―これが本当のクリスマスなのです。
 皆さんの上に神様のあふれるばかりの祝福と平安をお祈り致します」

2006/12/17(日) 「平和の君の誕生」大嶋博道牧師
アドベント礼拝(3) (聖書)ルカ2:8〜14/イザヤ9:5


序 論:
 クリスマスのキーワードの一つに「平和」があります。紀元前約700年前に、イザヤは「1人のみどり子がわたしたちのために生まれた」と預言し、そのお方を「平和の君」と紹介しています(イザヤ9章15節)また、ルカは救い主イエスの誕生に際して、天使たちが「・・・地には平和、御心に適う人にあれ」と賛美したことを伝えています。 (ルカ2章14節)

 しかし、現実には未だに平和が来ないばかりか平和を壊すことが多く起こっています。皆さんは今、本当に平和ですか。世界の中には「シャローム」と挨拶しながら現実には争いが絶えないところがあります。

本 論: 
さて、クリスマスを迎えるにあたって平和について考え、そして平和を実現するためにはどうすれば良いのかについて学びます。
イエスを「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」と預言者イザヤは言っています。「平和」とは健康であり、平安であり、健全であり安全でありそして欠けるところのない十全性です。反目し合う両者を一つに和解させる働きをされたのが平和の君〜キリストでした。

 ではこのキリストと出会ったキリスト者はどう生きれば良いのでしょうか。それは「平和を造り出す者」として生きる事です。それは私たちの身近なところから始める事です。そのために、
@無条件で他人を愛する
Aどんな時にも他人を赦す
B他人を自分のように受け入れる
C他人の存在をありのまま認める
D先ず自分が変わり、他人が変わるのを忍耐して待つ
E心から喜んで他人に期待する
F他人の心と体を育む
Gひたすら信じ、信じ抜く
Hどんな時にも不平や不満を言わずに心から感謝する
I他人の存在に注意深く気づく、などを心がけることです。
そして最後には「最善を尽くした結果は神のみ手に委ねて平安に生きる」ことです。

まとめ:
 クリスマスとは、「平和の君」イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。
平和の君が来られたことを思い起こし、身近なところから、平和を造り出す者(peace maker)として歩みたいものです。「平和は願い求めるものではなく、造るものであり、行うものであり、人のあり方に関するものです。」(マザー・テレサ)
             

2006/12/10(日) 引き受けて下さる神を待つ」大嶋博道牧師

アドベント礼拝(3)(聖書)ルカ1:26〜38

  クリスマスの出来事すなわち、イエス・キリストの誕生が実現したのは神の一方的な働きかけです。まさに「万軍の主の熱意」であり、神の愛の表れであります。(イザヤ9:6)
しかし、人間の側から見れば、それを信仰によって引き受けた人たちがいたからこそ、神の聖なるみ業が成ったとも言えます。今朝は、引き受けた人たちの「信仰による生き様」を学びましょう。

@東方の博士たち
 〜与えられたしるしを神の預言の成就と信じて、礼拝することを引き受けた。
 東方からの長旅は、おそらく多大な犠牲を強いられたことでありましょう。彼らは、神の約束が実現したことを喜び、ひたすら幼子を礼拝をするために来たのです。彼らは「黄金、乳香、没薬」を献げました。また、ベタニヤのマリヤは、十字架を前にした主イエスに高価なナルドの香油を惜しみなく注ぎました。「礼拝」は喜びと感謝の爆発する場なのです。私たちもキリスト者として、喜びと感謝をもって日曜ごとの礼拝をしっかりと引き受けましょう。

A貧しい羊飼いたち (ルカ2:8〜20)
 〜天の使いのメッセージを信じて、貧しさに耐えて生きることを引き受けた。ルカは当時、「アム・ハ・アレツ(地の民)」と言われ、最も貧しかった羊飼いたちに与えられた大きな喜びを語っています。彼らは天の使いから救い主の誕生を告げられた時、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と口々に交わしながら家畜小屋を探し当て、天の使いが告げたとおりの光景を見ました。彼らは神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。彼らの魂は信仰によって喜びと平安にに満たされ、貧しさに耐えながら生きることを引き受けたのです。
 信仰生活はいつもハッピーとは限りません。試練や困難が突如として襲ってきて信仰を側面から揺さぶる時もあります。「試練の真っ直中にある私を引き受ける」「今日の私をしっかりと引き受ける」〜これが信仰者の生き方です。

B救い主の母マリア
 〜戸惑いと決断の中で、救い主の母となることを信仰によって引き受けた。
「神には出来ないことは何一つない」と天の使いが告げた時に、マリアは「わたしは主のはしため。お言葉どおり、この身になりますように」と謙虚に、従順に神の言葉を受け入れました。彼女は様々な困難と問題の真っ直中で、神様の救いのご計画の受け皿になることを引き受けたのです。言い換えれば、救い主の母となることを引き受けたのです。
 クリスマスの出来事に関わった東方の博士たちも、貧しい羊飼いたちも、そして、マリアも「信仰によって」神の言葉を自分に与えられたメッセージとしてしっかり受け止め、様々な困難な問題や課題や使命を引き受けたのです。

☆まとめ:
 生きるということは「自分の人生のすべてを引き受ける」ことです。大変なことですが、神様はその私たちの人生をそのまま背負い、持ち運んでくださることを信仰によって確信いたしましょう。 「アドベント」は、この「引き受けてくださる神を待つ」時です。

2006/12/03(日) 「待ち望む者のために」〜系図に学ぶ 大嶋博道牧師
アドベント礼拝(1) (聖書)マタイ1:1〜17

はじめに:
強制収容所から生還したヴィクトール フランクルは「あなたが人生とは何かを問うのでなく、人生があなたに問いかけている」と言いました。私たちは人生から「問われている存在」なのです。同様に、私たちがクリスマスとは何かを問うのでなく、クリスマスが私たちに問いかけているものを探りたいと思います。
序 論:
今朝はマタイの書き出しの「系図」が問いかけているものを学びましょう。
系図とはその人の身分(血筋)を明らかにすると共に権威を示すものです。日本人は相対的に「系図」にあまり関心を示しません。私は自分の両親、祖父母、祖々父母ぐらいまで強いません。5代、10代とさかのぼって自分のルーツをたどることなど、ほとんど出来ないと思います
しかし、ユダヤ人は自らのルーツを知るための系図を重んじます。(事実、聖書には系図が何カ所かに記されています。創世記5章、歴代誌上1〜9章、ルカ3:23〜38)
その特徴は男系であること、従って女性の名前はまず記されることはなかったのです。
しかし、今日の聖書の中のイエスの系図には4名の女性が記されておりその4名がそれぞれ汚点を持つ“いわくつきの”女性でした。
聖書記者のマタイはこの系図物語を通してイエスの系図を明らかにしようとしたのです。
イエスがどれだけの権威を持った方なのか、間違い無くアブラハムの子孫でメシヤである事を明らかにしようとしたのです。(なぜなら、真のメシアはダビデやアブラハムの子孫から出ると信じられていたから) 
本 論:
今日はこの系図物語を通して次の二つの事を学びます。
@神様の聖なる救いのご計画は人間の考え、手段を問わず成就すると言う事がその第1の事です。時には、日常の時「クロノス」と聖なる時「カイロス」がありますが、神様はカイロスの時を用いてそのご計画を実現されようとされます。私たちがとのように執り行おうとしてもイザヤ9章5〜6節にあるように「主の熱意」がこれを成し遂げられるのです。
神様のご計画は必ず成るのです。
私は神様から示されて、1986年3月からこの地で開拓伝道を始めました。5年間は遅々として進展しなかったのです。しかし、この開拓伝道は神様の聖なるご計画と信じて、継続しました。その結果、多くの方々のお祈りとご支援をいただき、神様のすばらしいみ業がなされ、1991年4月には教会設立、そして1996年9月には新会堂が完成し、献堂することができました。神様の聖なるご計画は必ず成就することを体験しました。(ハレルヤ)

A第2の事は、神様のご計画を成し遂げるためには「問題を抱えた人」「相応しくない人」「弱さを覚える人」も用いられると言う事です。Tコリント1章26〜29節には誰1人として神の前で誇る事がないようにするために
「無学な者」「無力な者」「無に等しい者」をあえて選ばれたとあります。今日の聖書では「タマル」であり「ラハブ」であり「ルツ」であり「ウリヤの妻」であったのです。神様は「系図の破れ目」に生きているような者をその聖なるみ業のために用いようとしておられのです。あなたも主のみ業がなされるために勇気をもって参加いたしませんか!
アドベントに際し、主の豊かな祝福をお祈り致します。


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