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2006/02/19(日)
「遣わされなくては」大嶋博道牧師
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聖日礼拝(聖書)ローマ10:14〜15 ●教会には二つの働き(使命)があります。その一つは「エクレシア−イエス・キリストによって集められた者として聖なる共同体を形成する事」であり、もう一つは「ディアスポラ−イエス・キリストの使命を委託されてこの世へと派遣され、この世のために この世と共に生きる事」です。即ち日曜ごとの礼拝に参加してここからこの世に主の僕として遣わされていくと言うことです。マタイ10章1節と5節には、主イエスが神の国を宣べ伝えるために弟子たちを「呼び寄せ」、そして「派遣する」と言う出来事が 記されています。(その他、派遣に関する記録はヨハネ20:21,マタイ28:19,さらにローマ1:1など)
●今日のみ言葉ローマ10:14には「連鎖様式」を用いて「派遣される」ことの重要性が書かれています。すなわち、呼び求める(告白する)→それは信ずるから→信ずるのは聞くことによる→聞くことは宣教されるから→宣教は遣わされた者がいるから。 イエス・キリストを呼び求める事、即ちイエスを信じて告白するためにはイエスの事を宣べ伝えるために派遣された人がいなくてはなりません。私たちも誰かからみ言葉を聞いたからこそ信仰の告白に至ったはずです。 イエス・キリストの福音を宣べ伝えるためには情熱が無くてはなりません。何とかして家族を救いに導きたい、職場の同僚を教会に導きたいという情熱です。今、私たちが守っているこの礼拝が最高に祝福された場所であることを信じてこの所で学んだ事を熱心に熱意を持ってこの世に遣わされ、イエス・キリストを証しして欲しいと思います。
●1986年にひよどり台伝道所を立ち上げる時に、ある信徒の方から「牧師が何足の靴をすり減らすかがこの伝道所の今後に大きく影響する」と言われた事があります。それは自らの足をもって、どれだけの人々を訪問したりトラクトを配布したかが問われると言う事です。私の伝道の原点はここにあります。今も、どれだけの人々を訪ねて福音を宣べ伝えることが出来たかと言うことを大事にしながら日々伝道に努めています。
●さて、一人一人が遣わされた者として福音を宣べ伝えるために必要なことを幾つか述べます。 @何のためにと言う目的意識を持つ事(イエス・キリストの福音のために) A派遣の主体は神ご自身であると言う事を知る事。 B宣べ伝えるためには神ご自身の働きが必要であると言う事を知る事。 C宣べ伝えると言う事は継続して行わなければならないと言う事を知る事。 D宣べ伝えるためには「賢さ」と「素直さ」が必要である事を知る事。 E宣べ伝えるためには神様の臨在が必要であると言う事を知る事。 私の働きをとおして一人でも神様の救いにあずかる人が起こされれば、どんなに幸いでしょうか。神様は世の終わりまで私たちと共にいてくださると言う約束を信じ、遣わされた者としての恵みにあずかりましょう
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