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2006/02/12(日)
「人生の導き」〜時のしるしを見極める 大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)コヘレト3:1〜11 ●私たちにはどのような「時」があるのか。いろいろな「時」について語られている「コヘレトの言葉(旧約)3章1〜11節」から、そしてミッシェル・クオストの散文「主よ、時間はあります」から学んでみましょう。 (ミッシェル・クオストの散文から) 「主よ、あなたは時間を超えていらっしゃるから、私たちが時間と苦闘してるのを見て、にっこりなさいます。あなたはご自分でなさっていることがおわかりだから、あなたがなさった時間配分に狂いはないでしょう。 あなたは私たち一人一人それぞれにあなたがお求めになることをする時間をお与えになりました。 だから、私たちは時間を無駄に使ってはならないし、時間を浪費したり、つぶしてはならないのです。 時間はあなたからの贈り物だからです。しかも、過ぎ去る贈り物、保存の出来ない贈り物なのです。 主よ、私たちには時間があります。たくさんの時間が・・・ 主よ、私は今宵、あれをする時間、これをする時間が欲しいとは思いません。あなたが私に下さった時間の中で、あなたが私にせよとおっしゃったことを心静かに行うことの出来る恵みを、ただ、それだけをあなたから頂きたいのです。」
本 論: @私たちに対する神様の時の配分には狂いがない。神のなさる事は「時」に適っています。 人は「変化の中に〜変化する時の中」で生きています。それは「コヘレトの言葉」にあるように様々な変化があります。様々な「時」があります。しかし11節にあるように「神のなさる業は始めから終わりまで、全ての時に適う」ように彩って下さいます。すなわち、神様がなさる「時」の配分には狂いが無いのです。
A「時」は私たちにとっては「保存不可能なもの」なのです。「時」を蓄えておく事は出来ません。私たちが何歳まで生きようと私の人生の持ち時間には限りがあります。ですから、この時間を有効に使いたいのです。今、しなければならない事に全力を使いたいのです。そのためには自分の身の上に起こった事に全力を尽くして取り組み、喜んで自らの人生を引き受けて生きて欲しいのです。
B最後に、「時」のしるしを見極める事が必要です。自分の身の上に起こる予測しがたい出来事を通して神様は私たちに何を語りかけてくださろうとしておられるのか、その「時」を通して何を学び取ったら良いのか、神様のしるしを真摯に受け止める必要があります。その「時」を真摯に受け止め、神が支配されている「時」を忠実に生きる時に希望の未来が開けてくるのです。そのことは今までの歴史で明らかな通りです。
●神様は必ず「万事を益」としてくださいます。私たちに与えられている「時」を用いて、私たちに益となる事をしてくださると言う事を信じて生きていきたいものです。ヤコブの手紙4章15節の「御心であれば、生きながらえて、あのことやこのことをしよう」と言うみ言は真実です。「時」に対する正しい在り方です。
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