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2006/02/26(日)
「主と山に登ろう」 西脇衛士勧士
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信徒礼拝 (聖書)ルカ9:28〜36 聖書の舞台は、山にあると言っても良いのではないでしょうか。 モーセはシナイ山において神と出会い、召命を受け、十戒を授与された。 エリヤはカルメル山において偶像と戦い勝利した後、ホレブの山(シナイ山)において神の声を聞き、神の働きに出発した。 主イエス様も山に登られ民衆に説教をされ、そこで弟子を選ばれ奇跡を行われ、また日々祈りの場とされた。
聖書と山とは深い関係がある。「われ山に向かいて目を上る。(詩編121:1)
日本にも山岳信仰なるものがあるように、イスラエルの人たちもまた山を神のおられるところと信じていた。 イエス様は自らの十字架への道を弟子たちに予告されて後、三人の弟子を連れて山に登られた。それはこれから起こること{十字架への道}について、弟子たちに知らせるためであった。この山において弟子たちに、三つのことを明らかにされた。
1.イエス様の真の姿を知った(ルカ9:29) 2.イエス様の十字架による救いの道は、律法と預言の成就である。(ルカ9:30〜31) 3.弟子たちがこれからの生涯でなすべきことは、このお方 神の子キリストのみ声に聞き従うことである。(ルカ9:35)
この聖書の箇所から私たちにも3つのメッセージがあります。
1.山に登らなければ見えない世界がある。(恵みの世界) @日常生活の中に時と場所を聖別し、主と向かい合うこと。そこでみ言葉を通して主の恵み(主の愛・私のための十字架・慰め・励まし)を知る。 A自らの本姓(自らの弱さ・高慢さ・愛のなさ)を知り B悔い改めへと導かれ C日々新しくされていくのです。
2.山において主のみ声を聞き成長していく。 わたしたちは神のみ声を聞いて救われ、その救いを出発点として神の子として成長していくのです。それはキリストの内にあって{繋がれ}、キリストと共に(御霊に導かれて)キリストのみ姿に成長していくのです。(エペソ4:1〜3 13〜16)
3.主は日々私たちを山に招いておられる。 私たちも日々主と共に山に登り、主のみ声を聞かせていただき、成長していきたいと願います。イエス様の生涯は、わたしたちに対する招きの生涯であったと言っても良いのではないでしょうか。罪人を、病人を、悲しみ悩む人を、重荷を負っている人を招かれた。その招きに応え主の前に座り、み声を聞き悔い改めた人々が新しくされ、新しい人生を歩み出します。私たちも日々静まって主の山に登り、恵みをいただき新しくして頂きましょう。
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