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2006/04/02(日)
「再び、わが羊に」大嶋博道牧師
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年度開始 総員礼拝 (聖書)エゼキエル書34:11〜16 序 論: 今日は新しい年度の始まりにあたり、改めて「牧師と信徒の関係」について考えてみたい。 これは私の皆さんへの約束であり、またお願いでもあります。 エゼキエルとその時代について エゼキエルはエルサレム神殿で祭司として神に仕えていました。紀元前597年にユダ王国がバビロン帝国に降伏して、第1回捕囚が行われた時に、彼は指導者や兵士や職人たちなど約12,000人に混じってバビロンに移住しました。移住の地での5年目に、神の召命を受けて預言者として活動を始め、最初の5年間はエルサレムに対する神の裁きを預言し、ユダ王国が滅んでしまった後、一転して捕囚の民の救いを預言するようになりました。 エゼキエル34章1節以降には民に災いをもたらす偽「牧者」のすがたが記されています。彼らは民に傷を負わせ、痛みを与え、苦しめているだけで、牧者として失格です。 それに対して34章11節以降には真の「牧者」のすがたが記されています。 真の牧者とは(1)自分の群れを探し出し、世話をする。(34:11)(2)良い牧草地で羊を養い、憩わせる。(34:14、15)(3)失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。(34:16) この真の牧者の姿は詩編23編1〜6とヨハネ10:1〜18に描かれています。前者は神が牧者でダビデが羊、後者はイエス・キリストが良き羊飼いで弟子たちが羊にたとえられています。今日では牧師が羊飼いで信徒が羊ですね。
本 論: 今朝、私は皆さんの「羊飼い」すなわち牧者として、幾つかのことを約束します。聖霊のみ助けによって成し遂げたいと願います。 (1)神のみ言葉と祈りをもって羊である主にある皆さんを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を常に生き返らせるように勤めたい。 (2)鞭と杖をもって(ここでもみ言葉と祈り)をもって正しい道に導くよう勤めたい。 (3)皆さんの頭に油を注ぎ、恵みに溢れさせるよう勤めたい。 (4)傷つき、弱った時には包むことが出来るように勤めたい。 (5)羊である皆さんのために全身全霊をもって仕えるよう勤めたい。 牧者から羊である皆さんに願うことは三つあります。 (1)牧者に信頼してついてきて頂きたい。 (2)私の声を聞き分けて欲しい。(メッセージをしっかり聴いて、何が求められているのか を深く知っていただきたい) (3)神のミッション(伝道)に積極的に参加して頂きたい。皆さんが羊を産んで欲しい、 すなわち家族や友人・知人を教会に導いて欲しい。
まとめ: 大切なことは「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ10:16)とあるように、この群れが霊的に一つになり、愛において一つにあるように心から願っています。 今年度も共に力を合わせて主のみ業に励みましょう。
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