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2006/04/23(日)
「わたしを愛しているか」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝(聖書)ヨハネ21:15〜19 ●「わたしを愛しているか」と言う問いは私たちの心の本質に触れる問いです。 失敗や挫折などで悩んでいる人はこのみ言葉によって慰めを得るでしょう。 さて、21章1節以下によると死者の中から復活されたイエスが弟子達と朝の食事をされていました。その時にイエスがペテロに対して「わたしを愛しているか」と問われました。今日はその意味について学びます。
●イエスはペテロに「何故私を知らないと言ったのか」と問われないで「他の誰よりもわたしを愛しているか」と問われました。これはペテロを生かす言葉です。 ではこのイエスの問いにはどんな意味があるのでしょうか。
●その第1の意味は、イエスとペテロの真実な交わりの回復を意味します。 イエスを裏切ったペテロは多分イエスと出会いたく無かったでしょう。その場から消えてしまいたい思いだったと思います。でも、イエスはペテロを特別な存在として認められていました。 3度も同じ事を問われたのは、ペテロが3度イエスを知らないと言ったことに対するお返しではなく、イエスとペテロの交わりの回復に必要な回数でした。 そして、ペテロは「はい。愛しています」と応えずに「…わたしがあなたを愛していることをあなたは良く知っておられます」と答えています。お互いが深く理解し、信頼を取り戻す事、無条件で赦し合い、お互いが認め合う事が必要です。 「わたしを愛しているか」というイエスの問いは、イエスとペテロの一度失った交わりの回復、信頼の回復のために適切な問いでした。
●ペテロの再召命(ペテロが再びイエスの弟子としての働きを始めるため)が第2の意味です。マルコ1:16〜18が最初の召命だとすると、この箇所はペテロの再召す命ということになります。 「ペテロよ。私のためにお前の命を使ってくれるか」とイエスは問われたのです。それは「わたしの羊を飼いなさい」と17節にあるみ言葉が物語っています。
私たちも、日々イエスから「わたしを愛しているか」と問いかけられています。 日々、新たにされ、私たちの最善を尽くしてこの問いに応える人生を送りたいと願います。
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