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2006/06/11(日)
「思い悩まない人生へ」大嶋博道牧師
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伝道礼拝(聖書)ルカ12:22〜31 序 論: 「思い悩み」はどこから生まれるか? 「思い悩み」と訳されたギリシャ語[メリムナ]は元々、生活の重要な事柄が心をとりこにすること、また、「心が分割して集中出来ない状態」を意味します。「心配」とか「思い煩い」とか「心遣い」とも訳すことができます。 思い悩みは主として、衣食住とそれを維持するお金やモノ、健 康、責任を果たす能力、様々な人間関係、子育て、自分の将来のことなどから生じます。それらは常に変化するものです。 私たちはなぜ「思い悩む」のでしょうか? @「自分の未来はこうなる」と、自分勝手に決めてしまうから。不確かなのに「未来図」を描いて「そうなる」と思いこんでしまうから。 A毎日の出来事をマイナスに考えて計算するから。 Bいろいろなものを持ちすぎているから。 C人間存在の本質は「未完成」であることを受け入れられないから、 D自分の人生を神のみ手に委ねることができないから。 本 論: ルカ12:22〜31によると、 イエスは私たちの目を「空の鳥や野の花」に向けさせ、見捨てられたようなカラスでさえ神は養って下さり、枯れて焼却炉に投げ捨てられる野アザミでさえ神 は装って下さるのだから、「ましてあなたがたにはなおさらである」(12:28)と、語られました。 聖書の神は「配慮の神」「Pro-ver(予め見ておられる神)」です。ですから、 @感謝を込めて祈りと願いを捧げましょう。 A求めているものを何でも神にうち明けたいものです。 B神は養って下さるお方です。すなわち、私たちの必要をよく知っておられ、必要なものを備えておられ、私たちを最善に導いておられるお方です。(ローマ8:28)
まとめ: ジョン・ウエスレーの言葉を引用します。 「遠い将来に何をしょうなどと、思い悩んではなりません。そのような遠い将来はあなたに来ないかも知れません。また、あなたの関心事でなくなっているかも知れません。あなたはその日 その日の存在でしかないのです。 いや、もっと厳しく言うならば、明日と何の関わりがあるのでしょうか。必要もないのに、なぜあなたは途方に暮れるのですか。神はあなたに与えられたいのちを支えるために必要なものは 何でも、今日あなたのために備えて下さいます。」明日はただ神様の「領域」です。
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