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2006/06/18(日)
「生きるために何が必要か」大嶋博道牧師
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花の日」大人・子ども合同礼拝(聖書)ルカ12:13〜21 はじめに: 今日は一週間遅れの「花の日」で、大人子ども合同の礼拝を守ります。子どもたちは先ほど永原先生をとおしてお話しを聴きまして、階下におりて分級を行っています。大人の皆さんに「生きるために何が必要なのか」を聖書からお伝えしたいと思います。 序 論: 今日のみ言葉の中心は「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と言う21節にあります。人は何も持たないで生まれて来ますが、暫くすると沢山の物を持つようになります。持ちすぎる程に持つようになります。しかし、考えてみるとそのような人でも持たねばならない一番大切なものを持ってはいないのではないでしょうか。 ●今日の聖書で一番注目したいのは遺産相続の事である人が他の所ではなくて「イエスのもと」を訪れたと言う所です。その兄弟にイエスはひとつのたとえ話をされます。大豊作になったので倉を大きくし、ここに穀物を蓄えようと考える金持ちのたとえ話です。この金持ちは自分のためにだけ財産を蓄えようとしました。他人のために使うと言う考えはありませんでした。財産を持つと言う事は悪いことではないのですが、問題はそれをどう使うかです。 ●この金持ちは命には限りがあると言う事を忘れていました。人の幸せはその持ち物によるのではなくてそれをどう使うかにあると言う事を忘れていました。そして、共に生きる相手、応答するための相手を見てはいなかったのです。即ちこの金持ちは自分の事しか考えていませんでした。
本 論: ●では、私たちが生きていくためには何が必要なのでしょうか。それは次の5つです。 @その第1は生きる目的、目標がはっきりしている事です。パウロは「わたしにとって生きるとはキリスト」と言っています。(ピリピ1章21節) A第2の事は生きる上で一番大切なものは何かと言う事を知る事です。キリストによって今まで大切と思っていた事をキリストの故に損失と見なすようになったとピリピ3章7節にあります。 B第3の事は、私を支えているのは誰かと言う事です。詩編62の3では神こそ私の岩、私の救いとあります。 C第4の事は私を必要としている人は誰かと言う事を見つける事です。他者すなわち共に生きるもう一人の自分を見つける事です。 Dそして第5番の事は夢、明日への希望です。
まとめ: 「この食べ物を食べ、行ってイスラエルの家にかたりなさい」とエゼキエル書3章1節にあります。神の言葉を心の奥深くに受け入れた時に、それは自分にとって密のように甘くなるのです。それが人を生かします!
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