|
2006/07/16(日)
「祝福を受け継ぐ」大嶋博道牧師
|
|
|
聖日礼拝 (聖書)創世記26:15〜25 序 論: ご存じのように、創世記12章からアブラハム物語が始まります。神様は信仰の父アブラハムを選び、召命を与え、そして祝福の約束を与えました。
創世記12:1〜4を要約します。 @主はアブラハムに言われた (アブラハムの選び) A「歩け、自分の足で、私が示す地に向かって」 (アブラハムの召し) B「・・あなたを祝福し、・・あなたは祝福の源となる。 (祝福の基となる約束) Cアブラムは主の言葉に従って出立した。 (アブラハムの献身) この時アブラハムは75歳でした。彼はやがて迷いながらも、神が約束された地に足を踏み入れます。アブラハムはその間、何度も「祝福の約束」を神様から聴きます。(創世記15:5〜7,17:1〜8)
神様のアブラハムへの祝福の約束が実現したのは、それから25年後、アブラハムが100歳に至った時でした。イサクが誕生したことによって約束がついに実現しました。ですから、イサクは約束の実現、証拠ということになります。 しかしながら、イサクはと言えば、アブラハムの約束の故に、神の祝福を無代価で受け継ぐ者とされ、非常に豊かな族長とされました。
本 論: 創世記26:15〜25のイサクの生涯の一こまから私たちが 「祝福を受け継ぐ」あり方を学びたいと思います。 (1)神の言葉に従順に従ったイサク (創世記26:1〜6) イサクは神から命じられた通り、神の言葉に従い、飢饉の間、 ゲラルに寄留することになります。この地でイサクは次々と試練に遭いましたが、神の言葉に委ねた彼はここで大きな祝福にあずかることができたのです。
(2)人と争わなかったイサク(創世記26:15〜4) この頃、イサクは75歳ぐらいでした。イサクが祝され、裕福になったとき、ペリシテ人はイサクに嫉妬しました。ところが、イサクは掘った井戸をめぐって争うことをしなかったので、神様はイサクを祝され、新しい井戸を与えられたのです。決して人と争わない時、神様は私達に広い場所(レホボト)を与えてくださるのです。イサクのこの穏やかな生き方が祝福をもたらしたのです。
(3)祭壇を築いて主の名を呼んだイサク(創世記26:25) イサクは静かに神様の御旨を思い巡らし、神様に近づいた人です。イサクは大切な節目に、アブラハムと同じように、祭壇を築いて主の御名を呼んで礼拝しました。主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人を神様は祝福されます。(詩1:2-3)。 忙しいことを理由に、神様に近づくことを止めてはいけないのです。神様との親密な関係を保ち、神様と共に歩むこと、そして、節目にはその場所を聖別して祈りとみ言葉の祭壇を築いて礼拝する、これが祝福を受け継ぐ秘訣です。 私たちの人生は客観的に見るならば平板で淡々としているように見えるかも知れませんが、イサクと同じように、ただ恵みによって神の祝福を受け継ぐ者とされているのです。これほど幸いなことはありません。
|
|
|