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2006/07/09(日) 「愛によって」馬場一朗牧師
伝道献身者奨励礼拝 (聖書)ヨハネ一4:7〜21 
序 論:
 私が高校3年生の時にヨハネ15章16節のみ言葉に初めて接しました。私は中学生・高校生時代を通してスポーツをしていたのですが、そのみ言葉を耳にした時は丁度将来の進路のことなどで悩みを抱えていました。
 初めての礼拝は何も分からず、居心地の良いものではありませんでした。しかし、その時に「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのだ」と言うみ言葉が聞こえてきたのです。

 「わたしがあなたを選んだ」「わたしがあなたを立てた」「あなたは行け」と言うみ言葉が私の心を打ちました。そして、それからは礼拝や祈祷会にずっと出席するようになったのです。そんなある日、神様はエフェソ2章1〜10節を私に語ってくださいました。
この中にはクリスチャンとしての信仰の土台が語られています。このみ言葉から幾つかのことを知ることが出来ました。

本 論:
(1)罪の中に死んでいた自分を知った。
 今まで的はずれ(ハマルティア)の人生を過ごしてきました。神様が求めておられるような本来、なるべき者にならなかった罪に気づかされたのです。

(2)イエス・キリストを知った。
 3節には「生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」とあります。この言葉に接した時に私は今まで「自分自身の価値観の中で」生活して来ていたと言う事に気づきました。しかしこんな私をも「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくだ
さり」「その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし」てくださり「この愛の恵みによって私たちは救われた」(4節)と言う事を知りました。

(3)神様の恵みを知った。
 実は私は3歳の時に車に轢かれて死にかけましたが何とか一命を取り留めました。
そんな私が神様に従って生きていこうとした時に本当はそんな生き方に反対だった父が「お前は一旦は死んだ身だから好きなように」と言ってくれました。私が神に従って生きる決心が出来たのにはまだ他に神様のご準備がありました。それは私がカトリック
系の幼稚園に行っていたと言う事です。神様は私に対して予めご準備をしていて下さいました。私は、人生の目的を知りました。「出かけて行け」と言うみ言葉によって私は神学校へ行くようになったのです。

(4)人生の目的を知った。
 私たちは神様の作品として造られています。神様は私たちを選んでくださり、恵みを与えてくださり、出かけていって欲しいと願っておられます。あなた自身の働きを通して神様のご栄光が顕れるようにと、そのために互いに愛し合いなさいと願っておられます。
「私が任命した、行け」と命じておられます。
 神様の愛によって励まされて神の作品にふさわしく歩みたいと願います。


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