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2006/08/20(日)
「命がけの水くみ」 大嶋博道牧師
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聖日礼拝 サムエル記下23:13〜17+歴代上11:15〜19
はじめに: 日野原重明先生が「現代は生き方の病にかかっている」と言われました。生きる材料はたくさんあるがその使い方を知らず、従ってどのように生きていけばいいのか分からないというのです。 今朝は、ダビデ王と3勇士の物語から特にクリスチャンの「生き方」を学びましょう。 序 論: テキストを概観しておきましょう。 (1)ペリシテの陣に包囲され、洞窟で陰を潜めていたダビデ王の元に3勇士(部下)が訪れた。 (2)ダビデ王はなにげなく「ベツレヘムの城門の傍らにある井戸の水が飲みたい」と独り言を言った。(そこは敵のペリシテの先陣がいた) (3)3勇士はダビデの心中を察して、20数キロの道のりを走り、勇敢にも敵の陣営に飛び込み、命がけで井戸の水を汲んできた。 (4)ダビデはその水を飲まないで、主に注いだ。(感謝の礼拝をささげた)おそらく、石を立ててそこにその水を注いで感謝の礼拝をしたのでしょう。 本 論: ダビデと3勇士との関係を主イエス・キリストと教会(キリスト者)との関係に置き換えることが出来ます。つまり、ダビデがイエス様であるなら、3勇士はあなたであり私なのです。 すると、ここにはキリスト者として極めて大切な生き方が示されています。
(1)主の御心を知ることの大切さ〜主君ダビデ王の言葉を聞き取った3勇士 勇士たちはダビデの洞窟を訪ね、主君がなにげなくもらした言葉を決して聞き逃さなかった。注意深く耳を傾けていたので、言葉を聴き取った勇士たちはそれを心で受け止めたのです。キリスト者は主のみ心である聖書の言葉を聞き取ります。 それは聖書を読むことによって、また、礼拝の中で語られるメッセージをとおして、また時には家庭にあって静かにデボーション(霊想)をすることをとおして。信仰生活は、主のみ心を聴き取る訓練が大事です。
(2)み言葉を聴いて行うこと〜主君ダビデの言葉を最優先させた3勇士 戦いの真っ直中で、することはいろいろあったが、勇士たちはダビデの願いを最優先させました。ダビデは決して命令したのではありません。独り言を口にしたに過ぎなかったのです。 神様は私たちに「もっと奉仕をしなさい、もっと献げなさい、もっと礼拝や集会に励みなさい」と、要求されるお方ではないのです。それらはキリスト者である私たちの自主性にゆだねられているのです。イエス・キリストがどのようなお方であるかが分かれば、イエス・キリストのお心を知れば、私たちは主のお言葉を最優先せざるを得ないのです。 マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられるであろう。」 (3)犠牲の働きは主に聖別され豊かに用いられる〜主に水を注いだダビデ王 勇士が命がけで汲んできた水を、ダビデが飲んでしまえば、ダビデのノドの渇きを潤すだけのものでした。しかし、ダビデはそれを飲まないで、主に献げたのです。そのことによって、この水は最高の働きをしたのです。神が喜んでくださったからです。私たちの小さな奉仕も、主が用いて下さるなら最高のものとなるのです。神の栄光のために用いられます。 マタイ21:1〜3「主がお入り用なのです」というお言葉を心に留めましょう。 まとめ: 命がけでペリシテの陣を突破して、水を汲んできた3勇士のように、私たちも、(1)主のお言葉を聞き取って、命がけで従いましょう。主のお言葉は私たちには十分理解出来ない時もあるかも知れません。従おうとする時に大きな犠牲や摩擦が生じるかも知れません。 しかし、キリスト者として信仰に生きる私たちは「自分中心の生き方から神中心の生き方」に変えられたい、導かれたいと願います。そのような私たちに主は豊かな祝福をもって報いて下さるのです。 詩編103:20を読んでお祈りしましょう。
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