ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年1月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新の絵日記ダイジェスト
2016/03/06 信徒礼拝 「考え直す人生」畑中康雄勧士
2015/03/02 「運ぼう、主の恵みを」大嶋博道牧師
2015/01/04 「主は恵みを与えようとして」 イザヤ書30:18〜19 
2014/12/28 「信仰と希望に踏みとどまる」コロサイ1:21〜23 
2014/12/21 「本当の豊かさを求めて」ルカ2:8〜14

直接移動: 20163 月  20153 1 月  201412 11 10 9 8 7 月  20139 8 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 月 

2007/01/28(日) 「初めのわざを行いなさい」大嶋博道牧師
フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)ヨハネ黙示録2:1〜5

はじめに:
●人生には節目というものがあります。誕生、入学、卒業、就職、結婚、出産、定年退職あるいは大病、大きな失敗、事故など・・・.この節目は人生を見直す時でもあります。そのような時に今朝のテキストは大きな導きになります。今日のみ言葉を学びましょう。

●ヨハネ黙示録は1世紀末ごろ、ヨハネがローマ皇帝礼拝を拒否して、迫害を受けてパトモス島に流刑され、そこで幻で見たことを黙示的にアジアの7つの教会に書き送った手紙であります。
まず、。エフェソの教会に書き送っていますが、エフェソの教会は迫害下の中で労苦し、そして忍耐したことを称賛しています。しかし、4節では「あなたに言っておくべきことがある」「初めのころの愛から離れてしまった」とも言っています。そして、だから「どこから落ちたかを思い出して、悔い改めなさい」と述べています。あなたはイエス・キリストを愛する愛から離れてしまったと厳しく言われているのです。

本 論:
●私たちも初めの愛、本質的な愛、決定的な愛すなわち神への真実な愛、イエス・キリストへの愛を忘れてはいないでしょうか。今日はこのみ言葉から大切な事を3つ学びます。

@「思い起こす」〜どこから落ちたか(ズレてしまったか)を思い起こす事の大切さ。その分岐点を思い起こせと言われています。そして
A悔い改めなさい〜「悪かった」と知り、「自分が向かっている方向が間違っていた事」を知り「向きを変える」事の大切さです。ルターが言うように、クリスチャンの生涯は悔い改めの生涯です。
B初めのころの行いに戻る事が第3番目の事です。最初の頃の喜びと感謝、燃えるような愛を思い起こし、そこに立ち戻り、そしてその行いを実行すると言うのが初めの頃に立ち戻ると言う事でする

●もし、そのようにしなければあなたの最も大切なもの(燭台)を取り除くと主は言われます。慈愛に富まれる主がそのような厳しい事はなさらないと信じますが、しかし今日のみ言葉を受け入れて、初めの頃に立ち戻り、主が命じておられるそのような良い業を行うようにしたいものと願います。初めのわざに立ち戻りましょう。家庭生活、子育て、職場生活、社会生活、そして信仰生活において。祝福をお祈り致します。

2007/01/21(日) 「イエスの名によって」〜伝道的視点に立って 大嶋博道牧師
聖日礼拝  (聖書)使徒言行録3:1〜10

はじめに:
 聖霊に満たされたペトロが「美しい門」の側に置かれた足の不自由な男を立ち上がらせた奇跡物語は、この2000年の間ずっと「イエスの名によって歩く」ことの意義を読者に伝えてきた。が、今回はこのテキストを「伝道的視点」に立って学んでみたい。

だれに伝道するのか?:
 この男は施しを乞うために、神殿の門の側に毎日「置いてもらっていた」のである。荷物のように運ばれて「捨て置かれていた」とも読める。まさに生きる意味や目的が分からないまま虚しく惰性的に生きる現代人の姿ではないか!ペトロの伝道の対象が40年余り足の不自由な男だったように、私たちのそれも激動のこの世に「置かれている」傷つき疲れた人々であることを忘れてはならない。

まず関わることから:
聖霊体験(使徒2:4)を経て、新しく造り変えられたペトロは「彼をじっと見た」のである。
言語の「アテニゾー」は注視するという意味で、この男と深く関わろうとするペトロの姿勢が表れている。伝道とは、まず関心をもって家族や友人や職場の仲間を見つめることである。祈りをもって、訪問や電話をとおして、信仰の書物をとおして、直接出会って「アテニゾー」(見つめ、関わること)することこそ大事なことである。

現代人へのメッセージ:
「イエスの名によって立ち上がり、歩きなさい。」―ペトロが美しの門の側に捨て置かれた男に語ったこの言葉こそ、疲弊した現代人への伝道メッセージである。
いったい「イエスの名」はどのような意味を持つのであろうか。
@イエスの名はインマヌエル(神、我らと共にいます)であり、すべての人を救い得る名であり(使徒4・12)すべての名にまさる名である。(フィリピ2・9 )
Aイエスの名は神と人とを仲介すると共に、人と人を結びつける。
Bイエスの名は、権威・力・その貴い働きのすべてがその中に込められている。だから、ペトロではなく、イエスの名が「捨て置かれていた」男の足を癒したのである。
 また、イエスの名によって歩くとは、信仰によって生きることであり、神の言葉である聖書に基づいて生活することである。その時、人は罪から解放されて平安を得、喜びと感謝をもって歩き始めるのである。

真の礼拝者として:
癒されたこの男は「神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った」とある。(使徒3・8 )
伝道の目指すゴールは真の礼拝者を産み出すことであろう。主に贖われた者たちが毎週、喜びと感謝をもって礼拝に集い、霊的活力をいただいて、再びこの世に派遣される―これこそ伝道の結実である。今日からまた、伝道の主体である「神のミッション(Missio Dei)」に共に参与したいものである。

2007/01/14(日) 「夢を見る」(I have a Dream.) 大嶋博道牧師
聖日礼拝(聖書)ヨエル3:1〜5,2テサロニケ3:11〜13)

序 論:
箴言29:18に「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」 というみ言葉があります。「幻」あるいは「夢」というのは、元々「未来図」とか「理想像」のことで、「人が未
来を見たり、描いたりすることがなければ、今をどのように生きてよいのかわからない」ということでありましょう。「夢」のない人生は辛くて味気ないものです。「今」に集中し、「今」を生きることは大事ですが、「夢」があってこそ「今」が活きるわけです。
 
今朝、開いたヨエル書3:1にも「老人は夢を見、若者は幻を見る」という言葉があります。
ヨエル書は簡単に述べれば、
(1)1章―神に背を向けて罪を犯し続けている人々に対する神の厳しい審判が述べられています。
(2)2章―しかし、悔い改めて神に立ち返る者たちに神は赦しを与え、祝福を与えることが述べられています。これは回復の預言であります。
(3)「その後」とは神に罪を赦され、祝福を頂いた後ということです。神は聖なる霊を一人一人に降り注がれる。その時、息子娘は預言をし、老人は夢を見、若者は幻を見るというのです。

本 論:今朝、3つのことをお伝えします。
(1)夢を見ましょう。「未来図」を描きましょう。
@私の未来はこうなる、こうなりたいという未来図です。理想像でもいいと思います。神様の祝福を得て、教会の信徒たちや家族や親族や友人に喜ばれ、慕われ、惜しまれて天のみ国に平安のうちに凱旋する。

A私たちの家族の未来はこうなる。息子・娘たちが成長し、家庭を持ち、孫やひ孫が与えられ、豊かに繁栄し、皆が救われ、家族の絆が増し、共に主を賛美し、礼拝する時が来る。

B私たちの教会が霊に満たされ、この町の人々が会堂溢れるばかりに訪れ、共に主を賛美し、礼拝する時が訪れる。そして、二つ目、三つ目の教会が生まれる。子どもたちの多くが牧師・伝道者・宣教師を目指して献身し、神様の栄光のために立ち上がる時が来る。さらに、教団や教派の垣根を越えて、日本の諸教会が一致を保ち、協力し合いながら「神の国」のために働く時が訪れる。

C日本の国や世界が政治や宗教や肌の色などで争うことを止め、戦争・紛争・テロが消えてしまい、愛による一致と恒久的な平和が訪れる。
 大事なのは未来に神がなされる大いなるみ業を期待する、待ち望むということ。これが「未来図」を描くということなのです。

(2)「夢」の実現のために大切なこと
@「夢」は神のみ心であること。自分勝手な都合、思いこみではいけない。
A「夢」は独り占めしないで、共有すること。
B しかしながら、「今」、現在を大事にして、これに集中して生きること。
「落ち着いて(黙々)仕事をしなさい。そして、たゆまず善いことをしなさい。」(テサロニケの信徒への手紙二 3:11〜23)―これが夢をもって生きる者の現実のあるべき姿です!
 
黒人牧師で公民権運動にたちが上がり、殉教の死を遂げたM.L.キング牧師は“I have a dream.”で始まる演説をしています。彼は黒人と白人が同じテーブルに着く日が来ることを夢見ました。果たしてその通りになりました。神のみ心に沿ったあなたの夢はいつの日か必ず
実現致します。

2007/01/07(日) 「新しいいのいちを広げよう」大嶋博道牧師
新年礼拝 (聖書)詩編81:1〜11

新しい年を心よりお祝い申しあげます。今年も主にあって何卒よろしくお願い致します。
今朝は、私たちの教会に与えられた今年の「標語」について学びましょう。

●標語を掲げた理由
まず、この標語を掲げる理由ですが、一つは、昨今「いのち」が良し悪しにつけて、キーワードになっていることです。いじめ、虐待、凶悪犯罪、戦争、テロなどで、いのちが脅かされ、軽視されています。
いのちは本来、尊厳されなければならないものですし、すべてののいのちは高価で貴いものです。(イザヤ43:4)
しかも、このいのちの源は神にあります。(創世記2:7)私たちのいのちは両親をとおして神から預かったものであります。このいのちを今年一年、思いきり輝かせ、さらに広げたいというのが主な理由です。

●新しいいのちとは
いのちには肉体のいのち(有限なもの)、と霊のいのち(永遠的なもの)の二つがあります。この両者は分離できませんが、区別することができます。
私たちの肉体は加齢と共に弱くなり、衰え、やがて消えてしまします。肉体のいのちはいつの日か活動を停止するときがやってきます。しかし、霊のいのち、すなわち主イエスキリストと結びついたいのちは日々新しくされていきます。(2コリント5:17参照)
 私たちは信仰によって与えられた永遠のいのちを「土の器」である、この肉体に宿しているわけです。
ですから、結局、新しいいのちとはキリスト者として生かされているいのちのことで、具体的には神様から与えられた人生の持ち時間、賜物、能力、財、富、さらに愛や恵みや優しさや思いやりや平和など目に見えないものを含めて「新しいいのいち」と言うことができます。

●いのちを広げるとは
広げるとは伸ばす(reach out)とか拡大する、差し伸べる、大きく広げるなどの意味があり、私たちの新しいいのちをさらに活用し、今まで届かなかったところに手を伸ばすことを意味します。とにかく、いのちを用いること、使うことです。「使命」とはそのようなことなのです。
家庭にあって、もっと団らんや絆を深め、仕事にあってさらに充実させ、学舎趣味にも積極的に取り組み、信仰生活においてはさらに祈りを深め、み言葉に聴き、礼拝生活を最優先させ、伝道のわざに積極的にリーチアウトしたいものです。
今年一年「あの人の救いのために祈り続けよう」というのも、いのちを広げることです。
聖書の約束どおり神の「レホボト(広い場所)」に期待したいものです。

まとめ
詩編81:1〜11はまた次の機会に詳しく学びましょう。
81:11だけを取り上げて、まとめと致します。
(1)わたしがあなたの神、主(これはモーセの十戒の序文)というお方に向き合いましょう。
(2)口を広く開けよ、と言われる神様のご命令に,全存在をもって従いましょう。日々、私たちの口(祈り、願い、希望、信頼、夢、ビジョンなど)を神に向かって大きく開けましょう。
(3)わたしはそれを満たそうと言われる神様の約束に期待しましょう。私たちの不足を、欠けを満たしてさらに「レホボト」してくださるのは、神様です。
今年一年、大いに「新しいいのち」を広げたいものいです。祝福をお祈り致します。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.