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2007/10/21(日) 「天国のことを学んだ学者のように」(説教)副島 恵 先生
「特別礼拝」(聖書)マタイ13:44〜52 
はじめに:
 主イエスは天の国とはどういうもので、天の国を得るとはどういうことかを示すたとえとして、畑に隠された宝を見つけた人のことを語られた(13:44)。このたとえ話から、私たちはどのようなことを読み取ることができるだろう。

序 論: 
第一に、「天の国」は隠された宝だということである。「天の国」とは、神様のご支配という意味である。私たちの人生は、神様が支配しておられる畑である。

 第二に、隠された宝を、見つけた人がいるということである。隠された宝を見つけた人とは、礼拝に集っている私たちのことである。信仰は、隠された宝を見出すことである。
信仰者である私たちは、「天の国」、神様のご支配という隠された宝を見出したのである。しかし宝を見出したからといって、直ちに宝が私たちのものになるわけではない。
 
第三に、畑に隠された宝を見つけた人は、「喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」(13:44)のである。そうすることによって、発見した宝を自分のものにすることができるのである。そのことは13章45,46節「真珠商人のたとえ」にも語られている。畑に隠された宝を見つけた人と、真珠商人のたとえは持ち物をすっかり売り払って宝を手に入れるという点で共通している。
 二つのたとえが教えているのは、「天の国」という隠された宝、「高価な真珠」を、何物にも代え難い宝として、本当に真剣に求めていくことであり、それを得るために全力を尽していくことである。
 
 13章47節以下には、魚の網のたとえが語られている。魚の網のたとえが語るのは、私たちは既に、神様の大きな網の中に捕えられているということである。私たちを捕え、支配しているのは、神様の網であり、恵みのご支配という網なのである。
 
本 論: 
主イエスは弟子たちを相手にこれらのたとえをもって語られた。そして「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」(13:51)と問いかけられた。すると弟子たちは「分かりました」(13:51)と言った。弟子たちは、天の国の秘密を、つまり隠されている宝を理解したのである。弟子たちが「天の国」の秘密を悟ることができたのは、彼らが主イエスの弟子だったからである。主イエスは、今も私たちを主の弟子へと招いて下さったている。

 主イエスは「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」(13:52)と言われた。天の国の秘密を悟り、その隠された宝を手に入れようと立ち上がった弟子たちのことを、つまり私たちのことを、「天の国のことを学んだ学者」と言われるのである。天の国のことを学んだ学者になると何ができるのでだろうか。

 学者はその知識を縦横に駆使することがでる。そして、起こってくる様々な疑問に答え、混乱した事態を整理することができる。私たちは「天の国」について、そういう学者になることができるのである。「私たちが生かされているこの世界は、神様が支配しておられる神様の畑であり、私たちの人生は神様の網の中にある」ということをはっきりと信じ、知っている者は、この世に、またそれぞれの人生に起こってくる様々な疑問や混乱の中
で、答えを見出すことができるのである。天の国のことを学んだ学者である私たちは、この世の目に見える現実に惑わされることなく、喜びを失うことなく解放されて自由に生きることができる。それが、私たち天の国のことを学んだ学者の姿である。

まとめ: 
 私たちは、天の国の事を学んだ学者として、それぞれの持ち場立場で喜びをもって神様の恵みのご支配を告げ知らせていく者となろうではありませんか。


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