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2007/10/07(日) 「生きるにも死ぬにも」大嶋博道牧師
総員礼拝・聖餐式 (聖書)フィリピ1:21〜22

はじめに:
 ここにお集まりの皆さんは一度は「自分は何のために生きているのか」ということを自らに問うてみたことがあると思います。生きる意味や目的は「関係」によって初めて生じるものです。例えば、私と家族(夫や妻、子ども、兄弟姉妹)、私と職場での仕事や仲間、あるいは私と地域(団地や自治会)という関わりにおいて見出されるものです。

クリスチャンの場合は、神との関係の中で、生きる意味や目的を見出しているわけです。
神との関係の中で今、どういう位置にあるのか、神の前にあって、自分はどういう存在として位置づけられているのか、極めて本質的な問題を見つめることができます。

序 論:
 今朝はフィリピの信徒への手紙からのメッセージです。
パウロはエルサレムで捕えられて以来、カイザリヤ護送されてそこで約2年、またローマへ移されてからも2年以上ローマの官憲の監視の下で生活をしました。比較的自由のある、軟禁状態であったと考えられています。彼は獄中でフィリピの教会の信徒たちに手紙を書き送ったのです。

パウロの人生観(フィリピ1:12〜26)
パウロは強烈な人生観を持っていました。今日の箇所はパウロの命懸けの告白です。
1:21「わたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」
また、生きるにしても、死ぬにしても、自分の生き様によってキリストが公然とあがめられることを切に願う、と述べています。(その他、ローマ14:8,ガラテヤ2:20参照)

本 論:
もう一度、「生きることはキリスト、死ぬことは利益です」に目を向けましょう。
ここには幾つかの大切な意味があります。
(1)私の人生の主−司るお方(アルファでありオメガ)はイエス・キリストです。生も死も支配し、責任をもっておられるお方はイエス・キリストである。

(2)私の人生の導き手(ナビゲーター・羅針盤・管制塔)はイエス・キリストです

(3)私の人生を美しく彩るお方はイエス・キリストである。
「刺繍」というエッセーを一度紹介したことがあります。まさにあれですね。
私たちの人生の中で出会う試練や苦難など様々な体験をとおして、神様は最終的には私たちの人生を最善に導いて下さるのです。「美しく彩る」とはそのことなのです。

まとめ:
最後に、パウロは1:20で「わたしの身によって、キリストが公然とあがめられるようにと切に願う」と述べています。
 パウロの場合は、おそらくやがて自分は裁判の場に引きづり出され、人生最後の時が時がくる、その時、恐れず、恥じることなく、大胆に自分がキリストを信じる者であることを証ししよう、という決意を述べている言葉であります。
 この朝の礼拝で、「生きるにも死ぬにも」という題のもとにメッセージを聴きましたが、お互いに、「生きるにも死ぬにも、私の身によって、ただ、キリストが公然とあがめられるように」人生を最後まで全うしたいものです。
 「崇められる」とは「大きくされる」とか、別の表現をすると「キリストが常に第一のこととされる、第一のお方とされる」ということになるのです。

19世紀の聖書学者エリコットは「わたしのからだはキリストの栄光が現れる劇場である」と述べています。
「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益です」と日々、告白しつつ、 自らのからだを、全存在をキ
リストの栄光が現れる劇場にしたいものです。」
祝福をお祈り致します。


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