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2007/11/18(日)
「召しにふさわしい歩み」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)エフェソ4:1〜6
昨年、私たちの教会標語として、「召しにふさわしい生活」が与えられ、この聖書の箇所から学びました。本日、改めて、キリスト者に与えられた召しの意味を学びたいと思います。 序論: 今日のテーマ、命題は「それぞれの召しにふさわしく歩む」と言うことです。そしてその答えは「召してくださった方の思いに添うように生きる」と言うことです。「召してくださる方」とは天地創造の「主」であるから私たちはその召してくださった方の全ての面に倣って「聖なる者」とならなければなりません。私たちは神によって「買い取られた者」であり、「神に所属するもの」であるから召された者としてふさわしく歩んで行かねばなりません。 本 論: 「召されたものにふさわしい歩み」方とは具体的には次の4つの歩み方です。 @高ぶる事なく(謙遜で)柔和で寛容な心を持つことがその第1の生き方です。そのためには、自分の本能や情熱や思い通りの行動を制御しなければなりません。怒りと言う事に譬えでみる「ふさわしい時に怒っても、間違った時には決して怒らない」事です。そして、自分が精一杯した後ででもなお十分でなかったと思い「主よ、お赦しください」と言える心を持つことが大切です。 A第2の事は「寛容に」と言うことです。「寛容」とは神が人に対する寛容を表す言葉であり、この意味で、私たちはキリストに倣う者として「キリスト者がほかの人に対して寛大な態度を表す」事が求められています。 B第3の事は「愛をもって互いに忍び合う」と言うことです。 ここで「忍び合う」と言う言葉には「赦す〜受け入れる」と言う意味があります。 コロサイ3章13節に「主があなた方を赦してくださったようにあなたがたもそういなさい」とあります。私たちもこのように我慢して赦し合う事が求められているのです C最後に求められている事は「平和のきずにで結ばれて御霊の一致を保つ」と言うことです。 「平和」〜「キリストこそがわたしたちの平和」なのですから、私たちはキリストによって〜キリストと言う平和の絆によって、キリストと言う帯によって御霊の一致を熱心に保たねばならないのです。 このようにして、私たちは主の召しにふさわしい者とされて歩みたいものです。神様は必ず、召して下さった者を豊かに祝福して下さいます。
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