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2007/11/04(日)
「人生の四季を生きる」大嶋博道牧師
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召天者追悼記念礼拝 (聖書)コヘレト3:1〜11 はじめに: 今日は、召天者追悼記念礼拝を守ります。在りし日の故人のお写真を正面に飾って、故人を偲ぶと共に、私たちの生き方を聖書から学びたいと思います。 序 論: ポールトウルニエは、私たちの人生を「四季」にたとえて、春(0才〜20才頃)夏(20才から40才頃)・秋(40才から60才頃)・冬(60才以上)としました。 今日では平均寿命が伸びているので、10年〜15年ぐらいのズレはあると思います。 そして、それぞれの年代には生きる課題(テーマ)があることを教えています。 春の時代は徹底的に服従することを学び、夏の時代はひたすら活動し、豊かに実を結ぶこと、秋の時代は自分の人生を見直し、価値の転換をはかること、そして冬の時代が訪れたら、断念することすなわち捨てることを学ばなければならないと教えています。 今朝拓いたテキストにも私たちには季節があり「時」があることを教えています。 この「時」というのは、神が直接かかわってくださる「カイロス」の時をさしています。 それは、決定的な時、神の聖なる時、決断の時であります。 本 論: 今日のみ言葉から次の2つの事を学びます。 @私たちの生活には神様が予め決めておられる時(カイロスの時)があります。出来事には偶然はありません。人間の偶然は神の必然であります。神様によって定められた時〜大切な必然の、定められた時があります。神様が時を与えてくださらなければ私たちは何もする事はできないのです。詩人は「私の時は神様のみ手の中にあります。」(詩編31:15)と告白しています。私たちは神様の時の中におかれています。神様のご支配の中に生かされているのです。まさに「In His Time」を生きているわけです。ですから、安心して神のみ手にゆだねて生きて行きたいものです。 A神様は全て時宜にかなったように作られます。どんな時にも神様は最もふさわしいように作られ、もっともふさわしいように時を与えられます。「ヤーフェー」というヘブル語は赤ちゃんを見たときにだれもが感じる「かわいい」というあの思いと同じものです。神のなされる「時」は本当に「かわいい」、「ふさわしい」、「適している」のです。 それはロマ8章28節に次のように記されているとおりです。「神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くと言うことを、私たちは知っています」
まとめ: 神様が最善をなしてくださる、万事を益となるように共に働いてくださると言う信仰をもってこれからの人生を歩んで行きたいものです。祝福をお祈り致します。
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