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2007/12/23(日)
「命をかけた告白」大嶋博道牧師
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クリスマス礼拝・洗礼式 (聖書)マルコ15:33〜41 イエス・キリストのご降誕を心からお祝い申し上げます。 序 論: クリスマスには東方の占星術の学者たちや貧しい羊飼いたちが登場し、救い主の誕生物語を彩りますが、クリスマスは十字架の出来事に連結しています。ですから、十字架をとおしてイエスの誕生を見てみるのも意味あることです。
そういう意味で、今朝はイエスの十字架に関する箇所を開いて共に学びましょう。 今朝の中心的なみ言葉は、39節にある百人隊長の「本当にこの人は神の子だった」と言う命をかけた告白の言葉です。当時のローマの兵隊は皇帝アウグストを神として尊敬していましたから「イエスを神(主)」と告白することは、場合によっては職を奪われ、家族もろとも命を奪われるかも知れない危険なことだったのです。しかし、百人隊長はイエスの十字架の姿を側に立っていてつぶさに目撃した結果、命を賭けて「この人はまことに神の子だった」と言ったのです。
本 論: さて、命を賭けるとはどういう意味なのでしょうか?皆さんは何かに命を賭けていますか?そのようなメッセージを誰かに伝えていますか?今日の聖書から学ぶ「命をかけた告白」とは、 @全存在をかけてイエスを主と信じ、告白することです。イエスに自分の生涯をかけることです。イエスに人生をかける事を意味します。本気で信じ抜くときに豊かな人生を得ることが出来るのです。(ヘブライ12:1〜2、テモテ二4:7) Aお金等の不確かものにかけるのではなくて神に望みを置く事です。お金やものは大切ですが、人生を根底から支えるものではありません。言うまでもなく喜びや平安、健康や家族の絆などはそれらで買うことはできません。神の望みを置くということは、目に見えるものではなくて目に見えないものを大切にすると言う事です。
B死に至るまで忠実であると言う事です。生涯を通して忠実〜与えられた役割が大きくても小さくても、目立つものであっても目立たないものであっても持っているものを全て生かして最善を尽くすと言う事です。(黙示録2:10) クリスマスに際して改めて、ローマの百人隊長のように命をかけてイエス・キリストを信じる告白をしたいものです。イエス・キリストにどんなときにもしっかりと結びついていて欲しいです。豊かな実を結ぶために!
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