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2007/02/18(日) 「キリストにある新しい生き方」大嶋博道牧師
「キリストにある新しい生き方」(聖書)コリントの信徒への手紙5:17

キリスト者(クリスチャン)にとって「キリストにある」「キリストのうちにあって」あるいは「キリストと結びついて」(エン・クリストー)という言葉は、実に重要で根本的な意味を持っています。
キリスト者の生きる根拠をなすものであり、その生き方を根本的に新しく変革し、生きる意味を与え、また価値観を一新するものということができます。

今朝は二つのことに触れておきたいと思います。
一つは、聖書がいう「古い人とか新しい人」とはどういう意味なのか明らかにしておきたい。もう一つは、では「キリストにある」とは何なのか?を確認しておきたい。

@「古い人・新しい人」とはどういう意味なのか?
聖書がいう「古い人」というのは「いのちの創造者である神との交わりから離れて、自分の力によって、自己中心的に生きる人間」のことだと言えましょう。(実はこれを聖書的な意味での“罪”というわけです。)パウロはこのような人を「肉に従って生きる人」と言ってます。(ローマ8:5〜8)
 一方、「新しい人」とは、キリストにあって(キリストと結びついて、キリストを拠り所として)生きる人のこと、言い換えればイエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰に基づいて生きる人のことであります。(ローマ8:9〜11,コリントU:5:17)
ある聖書学者が、「キリストにある」ということが新しい生への可能根拠なのだ、と言ってます。当を得た言葉です。

新しさを意味するギリシャ語には二つあります。
(1)その一つが「ネオス」です。
これは現象的な新しさ、表面的な新しさを意味します。例えば新聞のニュースは日々新しい事件や出来事を報道しますが、1日経過すると古いものとなります。私たちの家、家財道具、持ち物そして私たち自身も時の経過と共に古くなり、衰えて行き、やがては消えてしまいます。

(2)もう一つの「カイオス」というのは、本質的な新しさ、内面的な新しさを意味するものです。それは決して時間的経過と共に古びるものではないのです。日々、新しさを増し加えられ、成長して行く性質のものであると言えましょう。
 例えば、信仰によって与えられた永遠のいのちは何年たっても古くなりません。喜びや感謝、平安や希望は時間的な経過と共に古くなって行くものではない。 パウトロの言う「見えないも
のは永遠に存続する」(コリント二4:18)の言葉のとおりですね。

Aでは「キリストにある」とは結局何なのか? 
「キリストにある」(エン・クリストー in Christ)」というのは、パウロが好んでよく用いている言葉ですが、これは人格的、神秘的な結合の関係、つまり、キリストと私たちとの一体的な、愛の交わりの結合関係を表現する言葉です。
「キリストを根拠にして」「キリストに支えられて」「キリストに引き受けられて」存在している信仰者の現実の姿を表しているわけです。
 
キリストにあって生きるということには、二つの面があります。
(1)私がキリストの中に存在せしめられており、キリストに愛され、捉えられているということ。
(2)私を捉えていて下さるキリストに対して、私が信頼し、服従するということであります。
 私を愛し、支え、守り、救いの中においていて下さるお方への、私の応答です。

 このように、キリストにある日々の生活によって、キリストとの交わりが保たれ、深まり、さらに強くされ、良き実を結ぶに至るのであります。(ヨハネ15:5)

まとめ:
私たちが新しくされるのは、自分の力ではなく、神の恵みによるものです。従って、信仰に基づくものであります。お互いに、キリストにあって、キリストに結びついて、日々、新しくされ続け、生きている充実感を味わい、豊かな実を結び続けたいと願います。


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