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2007/04/15(日) 「わが主、わが神」 大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)ヨハネ20:19〜29

序 論:
◇弟子たちの群れに現れた復活のイエス
 主イエスが復活された同じ日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にカギをかけて一緒に集まっていました。愛する師を失って、失望と悲しみの中にいる時に復活されたイエス様が現れたのです。彼らがどれだけ喜びに満たされたかは想像に余りあります。

◇ヨハネ20:24〜29
 ところが、気の毒なことに、トマスはそこに居合わせなかったのです。彼は非常に熱血漢で徹底的に真理を追い求めタイプの弟子だったようです。また、現実主義者であったと言ってもいいでしょう。(ヨハネ11:16,14:5参照)
 だから、イエス様が現れたというのなら、イエスの傷跡に手を当てて実際に触ってみて、確認してから信じよう、と言ったのです。

◇復活のイエスはトマスにも現れた
 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた時に、復活されたイエスが現れたのです。イエスはトマスに「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われた。その時トマスは「わたしの主、わたしの神よ」 と告白しました。

本 論:
 「私の主。私の神。」(28節)トマスでなければできない告白です。主イエスに直接「神」と言ったのは、聖書の中で唯一、トマスだけです。私たちキリスト者信仰告白も、最終的にはトマスの告白そのものです。その内容は、
 (1)わが人生のすべての道(生きるすべて)
 (2)わが人生の真理(このお方の外に救いはない)
 (3)わが人生のいのち(生きる目的・生きる喜び・生きる希望)
 教会は「告白共同体」です。十字架に架かって贖いの死を遂げて下さり、三日目に死人の中から甦られたお方を「わが主、わが神」と真実に告白する共同体です。
そして、キリスト者の生涯はまさにイエスを「わたしの主、わたしの神」と告白しながら生きるものです。

まとめ:
 今朝のメッセージをまとめた聖句があります。
「あなた方は、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」 (1ペトロ 1:8)
 私たちは直接、主イエスを見たり、触れたり、その声を聴くことができませんが、心から信じ、愛し、喜びに満ちあふれています。ずっとこのような信仰生活を送りたいものです。
「キリスト教の2000年の歴史のなかで告白された信仰告白は、このトマスの短い驚きの叫びに源がある。」(竹森満佐一)


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