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2007/04/22(日)
「渇いている人は来て飲みなさい」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)ヨハネ7:37〜39 イエス・キリストの最も美しい招きが二つあります。マタイ11:28〜30の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」と今朝のテキストの「渇いている人はわたしのところに来て飲みなさい」であります。
今日の言葉のポイントは「祭り」「渇き」「潤い」「水を飲むとどうなるか」等ですのでこの事について学びます。 @ユダヤの三大祭りの一つに「仮庵の祭り」(秋の収穫祭)があり、昔、荒野の40年間を神が導かれたことを思い起こすため、木の葉や枝で屋根を覆われた小屋を造ってそこに8日間住み、さらに祭司はシロアムから井戸水を汲んで神殿の祭壇に浸しました。出エジプトの苦しかった時の事を思い起こすこの祭りの時に、イエスが語られた事に特別な意味があります。
A「渇く」とはどういう事でしょうか。私たちは愛に、優しさに、人間関係に、人生に渇きを感じる時があります。渇くとは欠けを感じたり弱さや疲れ覚えることです。心の空洞でもあります。思い通りにならない人生の中で私たちはしばしば「渇く」のです。それはモノやお金やどのような人間的手段によっても癒すことの出来ない渇きです。
Bこの渇きに対してイエスは「渇いている人は来て飲みなさい」と言われました。イエスは渇きを補ってくださいます。癒してくださいます。具体的には (1)イエスに出会う事によって満たされるのです。このイエスに出会って、 (2)信じて歩み出す時に渇きは癒されるのです。そして (3)「霊」と「真」をもって礼拝を献げる事によってその渇きを潤すことが出来るのです。(キリスト者は礼拝者です.)何よりも「礼拝者」として歩み始めることが第一のことです。
ではCこの水を「飲む」事によってどうなるのでしょうか。 イザヤ書58章11節には「主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる」とあります。 いのちの水であるお方を信じる(飲む)ことによって、私たちのうちから生きた水が川となって流れ出るようになるのです。喜びと感謝と平安と希望の人生を歩むことが出来るのです。さあ「渇いている人は来てのみなさい」と言うイエスの招きに応答しようではありませんか!
まとめ: 私の牧会カウンセリングの恩師である谷口泰造先生は先日77歳で天に召されました。 2005年12月に書かれた証を紹介してまとめとします。 「第二次世界大戦が終わり、生きる希望を模索していた時、私は宣教師に出会った。 彼は、私をキリストに紹介し、私は聖書を読んでキリスト者になった。主は、私に召命と家族と多くの友を与えて、人間成長と奉仕の機会を下さった。 70年を超える生涯は、実に多くの人々の愛と赦しに包まれた生活であり、すべては神の恩寵であった。」 先生の生涯はまさに「いのちの水」を飲み続けたことを証するものでした。(祈平安)
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