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2007/05/20(日) 「従います、お言葉ですから」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)ルカ5:1〜11
 
序 論:
☆ガリラヤ湖畔での不思議な出来事
これは2000年ほど前のガリラヤ湖畔で起こったことです。
一晩中、漁を試みたが魚が全く獲れず、徒労に終わって疲労感と失望感を味わっていたシモンに対して、イエスは「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われました。
通常、漁は夜の暗い間に行われます、朝日が昇ると魚は獲れないのが常識です。シモンは漁師のプロであり、長年の経験から「先生、私たちは夜通し労苦しましたが、何も獲れませんでした。」と答えています。おそらく、「先生、今頃、沖に出て漁をしても無駄ですよ。私の豊富な経験から」と言いたかったのでしょう。ところがシモンはこの言葉のあと驚くべきことを言います「しかし、お言葉ですから網をおろして見ましょう」と。

「しかし」という接続詞は一般的に否定したり拒否したりする時に用います。けれども、シモンがここで言った「しかし」は、人間的能力の限界を越えて一歩踏み出す時の「しかし」です。イエスの言葉に従うという方向転換を意味する「しかし」だったのです。
 果たして、漁に出て網を打つと驚くべきことが起こりました。二艘の船がいっぱいになるほどおびただしい魚が獲れたのです。シモンは「主よ」と言ってイエスの足元にひれ伏しました。この時から彼は「人間を獲る漁師」への召命の道に導かれたのです。

本 論:
この出来事から3つのことを学びたいと思います。
(1)神への畏れを抱いて生きる
 キリスト教の本質は「神を畏れる」ことにあります。「畏れる」とは神の前に謙ること、低くされること、仕える僕になることを意味します。私たちが毎週日曜日にささげる礼拝はまさに主のみ前に「ひれ伏す」ことなのです。そこで霊的活力をいただいて新たに出発するのです。使徒パウロも「恐れ(畏れ)おののきつつ自分の救いを達成しなさい」と述べています。(フィリピ2:12)

(2)さらに勝るものへの熱意
 常識的に、経験的には不可能と思われる状況の中で、先入観を取りのぞいて謙虚になってイエスのお言葉に従う時、さらに勝る祝福、恵み(大漁)が与えられるのです。
神戸ひよどり台教会の始まりはまさにシモン状態「夜通し労苦しましたが、魚が獲れませんでした」でした。しかし、私たちは主のみ言葉に信頼し、必ず祝福されると確信して伝道の働きを続けました。5年後には驚くべき神の奇跡が起こったのです。あれ
から主は私たちにさらに勝る恵みとして、すばらしい新会堂を、会員を、子どもたちと保護者を与えて下さいました。「主は恵みを施そう」と待っていて下さるのです。ハレルヤ!

(3)目標への確信
 シモンはこれほどの大漁を期待してはいなかったかも知れません。私たちは「目標」をしっかり持って伝道に励み、仕事や家庭生活に勤しみ、子育てに励みたいものです。大事なことは信仰をもって目標を定め、必ず事は成就すると確信することです。
あのアブラハムは最愛の息子をモリヤの山で犠牲としてささげた時、「神は必ず備えて下さる」という配慮の神への期待と信頼を持っていたのです。(創世記22:8)目標への確信は必ず実りの結果をもたらされます。

まとめ:
信仰とは希望に生きることです。イエスに対する信頼と期待が希望を生み出します。
イエスを信じた時に与えられた希望が、シオンをして再び沖に漕ぎ出すように導いたのです。「しかし、お言葉ですから従います」―これこそ私たちの信仰でありたい。


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