ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年6月
前の月 次の月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新の絵日記ダイジェスト
2016/03/06 信徒礼拝 「考え直す人生」畑中康雄勧士
2015/03/02 「運ぼう、主の恵みを」大嶋博道牧師
2015/01/04 「主は恵みを与えようとして」 イザヤ書30:18〜19 
2014/12/28 「信仰と希望に踏みとどまる」コロサイ1:21〜23 
2014/12/21 「本当の豊かさを求めて」ルカ2:8〜14

直接移動: 20163 月  20153 1 月  201412 11 10 9 8 7 月  20139 8 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 月 

2007/06/17(日) 「神を畏れ、その戒めを守れ」大嶋博道牧師
父の日礼拝 (聖書)コヘレト12:1〜14

〔「父の日」に寄せて〕
今日は父の日です。特に家庭の父親である皆さんの祝福を祈り、大切なメッセージをお伝えします。
●「コヘレト」とは、集会の中で語られた言葉、集会で語る者(伝道者)、の意味です。
全体を貫いているテーマは「人は如何に生きていったら良いのか」「人生の意味や目的は何か」です。
そしてコヘレトにおいては1章2節・8節、5章14節、6章2節〜4節、7章9節・12節等々で度々使われている「空しい」と言う言葉がキーワードとなっています。「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来たときの姿で、行くのだ。労苦の結果を何一つ持って行くわけではない。これまた、大いに不幸なことだ。・・・その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。」(5章14節〜16節)ここにも人間の生活の営みの空しさが漂っています。

●この「空しい」と言う言葉が度々使われているのは、12章の13節「神を畏れ、その戒めを守れ」というみ言葉を引き出すためでもあります。
 父の日に当たって「神を畏れ、その戒めを守れ」と言うことを学びたいと思います。
結論から申し上げますと、私たちの信仰生活のあり方は、とどのつまり「神を畏れ、その戒めを守る」ことにあります。そのことを、父の日に際して、特に家庭の「父親」は家族に、子どもたちに語るべきだとお伝えしたいと思います。
では、いったい神を畏れるとはどのようなことでしょうか。それは、神を怖がるとか、恐ろしい存在とすることではないのです。
●「神を畏れる」とは
@人知を超えた偉大な存在を認めると言う事です。「サムシング・グレイト」の存在なのです。
A人間が今、存在して、生きているのは、自分の力だけでは 無いと言う事を認めること。
私たちは自分で仕事をし、家庭生活を営み、健康管理をします。しかし、私たちがすべてを支配しているわけではないのです。人は、生かされて生きています。そのことを、謙虚に認めることです。
Bこの私が、宇宙の中の中心にいるのではないと言う事を認める事。人間が世界を支配しているのではありません。世界は神の御手の中に支配され、人間のいのちも神の御手の中にあって支えられているのです。
C聖書に示されている創造主だけを礼拝すると言う事、謙虚に仕え ると言う事です。礼拝とはひれ伏す、仕えることを意味します。

●出エジプト記1章15節に「シフラ」と「プア」と言う二人の助産師が登場します。エジプトの王はこの二人の助産師に男の子が生まれてきたら即座に「殺せ」と命令しますが「シフラ」と「プア」は神を畏れていたのでこの命令には従いませんでした。そして、神様はこの二人に「恵みを与えられました」(1章20節)。箴言1章7節に「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」とあります。
まさに、主を畏れる事は知恵の初め、なのです。               


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.