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2007/07/08(日) 聖なる召しにあずかって」大嶋博道牧師
伝道献身者奨励日礼拝 (聖書)エレミヤ1:1〜8  〔「伝道献身者奨励」月間A〕
 
メッセージの前に北中みや子姉のあかしがありました。
今80歳に思うこと・・神様の前に立つ日のことを思い聖書通読に励んでいます。そして、聖書のメッセージをより深く理解するために今、JTJ宣教神学校のDVDを使って在宅で学んでいます。教会学校の学びとしても始めた事ですが結果的には自分のためでもありました。
神様の働きはクリスチャンとしての義務ではなく、宣教の召しにあずかっている者の特権であり、その意味で喜びをもって学ばせて頂いております。また、教会学校の歌を1曲でも弾きたく今、
ピアノを学んでいます。

はじめに:
 聖書には多くの召命物語(モーセ・イザヤ・パウロなど)があります。今日は“涙の預言者”といわれたエレミヤの召命の記事を通して学びます。
神からの召しを受けるということは牧師や、宣教師になるという特別な神様の選びだけを指すのではなく、全てのクリスチャンに当てはまるものです。

本 論:
 エレミヤは祭司の子として誕生し、ヨシアの時代(BC627年頃)からエルサレムの住民がバビロン捕囚となるまで(BC587年頃)の約40年間、預言者として活躍しました。今朝はエレミヤ1:4〜8から「聖なる召し」に関して4つのことを学びましょう。

@神様の先行的な選び(4節)。―クリスチャンは皆、神の先行的(神の前もっての働き・恵み)の中にあります。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなた方を選んだ。」
(ヨハネ15の16)とある通りです。

A神の聖別(分離)―エレミヤは「私は母の胎内に宿る前から聖なる者として別けられていた」(5節)と告白しています。パウロも同様のことを述べています。(ガラテヤ1:15)私たちの召しは主の「聖別」なのです。

B召しに対する躊躇(ためらい)(6節) 選ばれた者であっても弱さや欠けがあり、それ故にためらいはある。モーセは「口が重く、舌の重い者」(出エジプト4:10)と言い、「エレミヤは若者にすぎない」(エレミヤ1:6)と躊躇しています。しかしながら、私たちは十字架の贖いの故に神によって聖別された者であることを自覚したい。

C神の派遣の命令と約束(8節)―7節で「私が命じることをすべて語れ」といわれる神は8節「恐れるな」「あなたと共にいる」「必ず救い出す」と言われる。神は召しに伴う保証を約束
しておられる。

まとめ:
 私たちも主の約束と選びを信じ、ためらわず、今あるところで神の召しに応えたいものです。
ジョン・ウエスレーは6歳の時の牧師館の火災の中から助け出された経験をとおして「自分が生かされて、生きているのは神様のためなすべき仕事があるからだ」という強い召命観、使命感を抱いたそうです。
 私たちは生かされている限り、主の召しに応え続けたいものです。


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