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2007/08/05(日)
「真のキリスト者を目指して」大嶋博道牧師
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総員礼拝 ローマ5:1〜11 はじめに: 今朝はジョンウエスレー(1703〜1791)の有名な説教「あと一歩でキリスト者」をとおして、「真のキリスト者」に導かれるために何が必要なのかを学びたいと思います。
ウエスレーは人間の生きる姿勢を「生まれながら」の状態「律法の下にある」状態、そして「福音の下にある」状態の三段階に分けて説明しています。
「あと一歩でキリスト者(almost christian)」とは あと一歩でキリスト者というのは第二段階の「律法の下にある」状態で、具体的には、異教徒の正直さ(不正を行わず、強奪や盗みをせず、貧しい人を虐げず、商売に携わってもごまかしたりだましたりしないなど)が含まれ、さらに、聖書に記された敬虔(礼拝生活、祈り、悔い改め、神への遜った態度など)の形を持ち、本当のクリスチャンの「外見」を持っています。
「全面的キリスト者(altogether christian)」とは では、「全面的キリスト者」となるために求められていることは何でしょうか。 ウエスレーは幾つかのことを挙げています。 @全身全霊を尽くしての神への愛(マルコ12章30節) A隣人への愛(マタイ22章9節) B全ての根底にある信仰(Tヨハネ5章11節) C悔い改めや愛や全ての善行に相応しい実を結ぶ信仰(マタイ3章8節) D永遠の呪いから救われると言うキリストへの信頼と確信 E愛によって働く信仰(ガラテヤ5章6節)
現代における「真のキリスト者とは」 21世紀に生きる私たちが、この時代の中で真のキリスト者を目指すために何が必要なのかを二つに要約して述べてまとめたい。 (1)日々「恵み」を自覚して生きる 〜ただ信仰により、恵みによって救われたことを確認して生きる。(ローマ5:1〜2、エフェソ2:8) (2)信仰に基づく愛の実践〜愛と信仰とは密接に関連づけられています。 パウロにとって「信仰」とは、私たちがイエス・キリストに自分のすべて(全生涯)を任せることにほかならず、このことは愛の業において具体的に現れるというのです。(ガラテヤ5:6)
まとめ: 私たちすべての者が、あと一歩でキリスト者となるまでに成長し、そこに留まらず、全面的キリスト者となることを体験することができますように祈ります。 それは、イエス・キリストによる贖いをとおして、主の恵みにより無代価に義とされ、イエス・キリストによって神との平和を持つに至ったことを知り、神の栄光を望んで喜び、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれることです。(ローマ5:1〜5)ウエスレーのアルダスゲイト街での体験こそ、私たちが真のキリスト者に導かれる秘訣であります。
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