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2008/10/19(日) 「望みを求めて」西脇衛士勧士
信徒礼拝  列王記下5:1〜14

序 論:
 聖書は私達に望みを与えてくれる書物です。その望みは神にあります。
今朝、ナアマンの記事から「望みを求めて」と言うことを学んでみましょう。彼はアラムの軍司令官、王に重んじられ、真の神に用いられる立派な人物であった。が、それにも優る悩み、重い皮膚病にかかっていた。彼の望みはこの病が癒されることであった。

 ある時、イスラエルから捕虜として連れてきた少女の「私の国には病を癒すことの出来る預言者がいます」との声に預言者のもとを訪れる。彼は預言者が出てきて手厚く持てなし、患部に手を置き、祈ってくれるものと思った。しかし、召使いの「ヨルダン川で7度身を洗え」との伝言だけであった。怒ったナアマンは帰ろうとしたが、僕が「難しい事ならしたでしょう。7度川に身を浸すだけですよ」との声に従い、川に身を浸した。この行為は自らの恥ずかしい姿を見せることであり、プライドを捨てることである。しかし、そのことにより彼は病からの解放の望みがかなえられた。神を動かそうとした彼は神に捕らえられ、神を信じた。ハレルヤ!

本 論:
私達にも多くの望みがあります。しかし、その望みも失望に、挫折に終わることが多くあります。しかしその望みを支える望みがあるのです。アブラハムは望み得ないのになお望んだと記してあります。(ローマ4:18)
私達の望みを支えるもの、それは―
@神は愛です(1ヨハネ4:16)  
A神は最善をされるお方(詩119:68)
B神は備えて下さる(創22:14)お方と言う信仰です。(1ペテロ1:21)

この世のものは消え去り、私達の望みを支えてはくれません。私達を支えるものそれは神ご自身であり、神の言葉です。(詩119:81)では、消えることのない望み・神のお約束とは何か、それは―
@日々新しくされる望み(2コリント4:16) 
A復活の望(1テサロニケ4:13) 
Bキリストが私の内に住んで下さると言う約束です。(コロサイ1:27)この望みは朽ちず、汚れることのない天に蓄えられているものです。(1ペテロ1:3/4)

まとめ
 この素晴らしい望みを戴こうとする時、私達もナアマンのように神の前に自らのありのままの姿を現わし、プライドを捨て、神にのみ信頼(信仰)を置くことなしにこの望みを持つことはできません。この望みの上に私達の望みを置く時、決して失望に終わることのない日々が歩めるのではないでしょうか。この望みを熱心に追い求めていきましょう。(コロサイ3:1)


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