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2008/12/28(日) 「良き力に守られ」大嶋博道牧師
年末感謝礼拝 (聖書)詩編46:1〜12

はじめに:
今日の礼拝が今年の最後の聖日礼拝になります。今年は教会標語に「愛のうちに建て上げられよう」と言うみ言葉をかかげて歩んできましたが、神戸ひよどり台教会は恵まれて、まことに愛のうちに建て上げられた一年だったとの思いで感謝で一杯です。(10月〜12月で受洗者が7名)

本 論:
  46編のキーワード「神が私たちの安全地帯」
さて、今日のみ言葉の8節と12節が46章のキーワードです。二つの節とも同じ言葉が語られています。
 「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」神様は私たちを避難場所すなわち「安全地帯」に入れると約束していてくださいます。
まことに、「神は私たちの安全地帯」なのです。本来、私たちの安らぎの場所は家庭ですが、でも聖書はそれ以上に「神様の臨在の場」が私たちの安らぎの場、居心地の良い場所であると語っています。

  たとえ地が変わり、山々が揺らぐとも
 46章3節に「わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも」とあります。山が海に移ると言うようなことはあり得ない事なのですが、でも例えそのような事があったとしても神様は私たちのさけどころであると詩人は言っています。どのような困難な問題が私たちに起ころうとも神様は私たちの「安全地帯」なのです。

一度、自分の力を抜こう!
11節では「力を捨てよ(静まれ)」とあります。あなたを支えているものを一度捨てなさい、と言われているのです。私たちの日常生活の中で自分の力となっているもの、支えとなっているものを一度捨てなさいと言われているのです。
皆様も一度捨ててみてはどうでしょうか。その時にこそ、本当にあなたを支えているものを見いだす事が出来るのではないでしょうか。その時に、あなたを根底から支えているものが何であるかと言うことを知る事が出来るようになるのです。 神様の愛のうちに建て上げられたいものです。神こそが私たちの安全地帯であり、支えなのですから。

 「我、ここに立つ」
今年一年間、神様の愛のうちにあった事、支えられてきた事を感謝します。宗教改革者マルチンルターと共にどのような危機的状況の中にあっても確信をもって「われここに立つ」と告白したいものです。そこが最も良い神の安全地帯なのです。
一年を感謝し、新しい年に期待しましょう。

2008/12/21(日) 「本当に豊かな人生とは」大嶋博道牧師
クリスマス礼拝  (聖書)コリント二8:8〜9

●クリスマスとはイエス・キリストが生まれた日ですが、私たちが「本当に豊かな人生とは何か」について考える時でもあります。一般的に、健康でお金やモノに恵まれ、社会的ステータスがあり、安定した生活をすることが豊かな人生と考えられています。則ち「健康である事」「日常生活に必要な物が整っている事」「社会的地位が保たれている事」「老後に不安が無い事」などが幸せな条件と言えます。
 しかし、これらは永続するものではありません。思いがけない事で崩れ去る事があり、消えてなくなってしまうものです。決して安定したものでなく、不安定なものです。
 では、果たして豊かな人生とは何なのでしょうか。今の日本は安定した豊かな国と言えます。
世界には物質的に乏しい国が多くあります。そのような国に比べると日本は確かに豊かな国と言う事が出来ますが、大人の閉塞感や焦燥感、若者の生きる目的意識の欠如、子どもたちの飽き足りた生活の退屈など、これだけ恵まれていても、決して豊かさを感じていないような気がします。

●果たして、しあわせ=豊かさとは何か?聖書は貧しい飼い葉桶にスポットを当てて「飼い葉桶の中にこそ豊かさがある」と教えています。貧しさを表す事例として、イエスは飼い葉桶の中に生まれられ、そして決して社会的に地位の高いとは言えない東方の博士に礼拝され、「アム・ハ・アレツ(地の民)」と言われた羊飼いたちに最初に祝われました。
 また、イエス・キリスト自身、十字架に架かって死ぬことが定められていたのです。このように、外面的に最も貧しく見えるところに「本当の豊かさがある」と聖書は言ってます。さて、本当に豊かな人生を手に入れるためには次の事が必要です。

@人間の命には限界がある事を知る事〜そして天国への本当の平安を持つ事が第1のことです。
A分かち合う相手を持つ事〜本当の隣人を発見する事が第2の事です。
B共に喜び、共に泣く〜共感出来る人生を送る事が第3の事です。
クリスマスのこの時に本当の豊かさについてもう一度考えてみたいものです。そして、この豊かさに与りたいと願います。
皆様の上に豊かな祝福をお祈り致します。

2008/12/14(日) 「あなたが幸せになるしるし」大嶋博道牧師
アドベント(V)礼拝 (聖書)ルカ2:8〜12 

序 論:
 クリスマスはイエス・キリストがお生まれになった日で、神学的な言い方をすれば、「ロゴスなる神の受肉、即ち神が人となられた日」であります。ルカは具体的にこの事実を次のように伝えています。
@すべての人の「喜び」を告げる
A今日、ダビデの町(ベツレヘム)に救い主が生まれた。
B家畜小屋の飼い葉桶の中に、布にくるまって寝かされている乳飲み子、これが「救い主メシアのしるし」である、と。
「しるし」とは、目印(a mark)とか証拠(evidence)という意味です。

 さて、ある神学者が「飼い葉桶にすべての人にとっての永遠の宝が存在する」と言いましたが、今朝、クリスマスに際して一つの大事なことをお伝えしたいと願っています。それは「私たちにとって幸せになるしるしはどこにあるのか?」ということ。その結論は明らかです。この飼い葉桶の中にです。幼子イエスこそしるしだというのです。

ところで、私たちが今、住んでいる世界は「暗闇」が支配しています。
「暗闇」とは辞書によると、「全く光がなく、暗いこと」また「人目につかないところ。人の知らないところ。そして「見通しがたたず、将来に希望の持てないこと」と説明されています。
 確かに、人間世界は「暗闇」が支配しています。戦争や紛争やテロという暗闇、貧困や飢餓という暗闇、自然災害という暗闇、病気という暗闇、また、資源や食糧不足、地球温暖化などの暗闇、目を身近なところに向けると、政治や教育の混乱や道徳・倫理の腐敗、DVやいじめや凶悪犯罪という暗闇、人間関係の歪みやズレ・不信という暗闇、家庭の崩壊という暗闇、そして孤独や不安や恐れという暗闇、生きる意味喪失という暗闇が私たちを包み込むように覆っています。
まさに暗闇は絶望であり、死そのものを意味しています。

本 論:
 キリスト教は「しるしの宗教」と言われています。
2000年前、ルカははっきりと、ここに「しるし」がある。ここに、あなたがたの「拠り所」がある、ここに「幸い」が、「祝福」が、そして「救い」がある、と貧しい家畜小屋の飼い葉桶にスポットを当てました。このような暗闇の中で、私たちが幸せになるしるし、家族が平和に暮らすことができるしるし、お互いが健康で末長く生きることが出来る「しるし」はどこにあるのでしょうか?
それは、私たちがルカ2:11〜12の飼い葉桶の幼子イエスに表されたような生き方をすることでありましょう。
それは、
(1)低くなること−仕えるしもべの生き方 (マルコ10:43〜45)
(2)貧しくなること−出来るだけ人に与えること、分かち合うこと (コリント二8:9)
(3)弱さを受け入れること−自分の弱さを誇る (コリント二12:9〜10) 
(4)愛に根ざして生きる (エフェソ3:17)
これらのことは、極めて難しいことですが、イエス・キリストご自身がそれを実践され、また、教えられました。日々の生活の中で、私自身も最善を尽くして行いたいと切に願っています。このような謙虚な生き方、愛に溢れた生き方の中に、本当の幸いが備えられていることを確信します。

まとめ:
17世紀のドイツの詩人A.シレジウスの詩を紹介して終わります。
「キリストがベツレヘムに千度生まれたもうとも、キリストがあなたの心のうちに生まれたまわなければ、あなたの魂はなお捨てられたり。」

2008/12/07(日) 「歴史を背負う神」大嶋博道牧師
アドベント(U)礼拝 (聖書)イザヤ書46:1〜11(4)

はじめに:
 アドベント(待降節)を迎えています。この時期は、神がイエス・キリストにおいて歴史の中に介入されたこと、つまり、罪と悪に満ちた私たちの人間社会に関わられたことの意味を深く思
って見たいわけです。
本 論:
 神は私たちの歴史を背負っておられます。旧約のイスラエルの人々は出エジプトと紅海の奇跡、十戒の授与、さらにバビロン捕囚とそこからの解放、神殿建築などをとおして、神がイスラエルの歴史を担っておられること、神は歴史を支配しておられることを深く感じていました。
 歴史を背負う神とは、どのようなお方なのかを、さっそく学びたいと思います。

(1)歴史を背負う神は私たち一人一人の人生を担い、背負って下さるお方です。
「背負う」とは、生きる道を示し、教え、導き、守り、支え、目的地に伴ってくださるということです。人生は紆余曲折、順風満帆だけではありません。様々な出来事の中にあって、皆さんをしっかりと担い、背負い、持ち運んでくださるのです。   

(2)歴史を背負う神はアルファでありオメガであるお方です。(黙示録1:8,21:6)
「創始者」であり、「完成者」なのです。初めであり、終わりです。神様の独り子であるイエス・キリストは天地創造の初めから存在し、終末の時まで私たちと共におられることを示しています。
このお方は私たちの人生の様々な出来事や計画をすべて見通しておられ、始めて下さり、最後はみ心の中で最善に完成させて下さるのです。あなたの立てた計画は、神のみ手の中で必ず成ります!

(3)歴史を背負う神は歴史の「基軸」です。
「基軸」とは思想や組織などの根本・中心・基準となるもの。キリスト教信仰の基軸は「神が歴史を背負っておられる」ということ。「基軸」とは歴史の中心と言ってもいいし、土台と捉えてもいいと思います。つまり「柱」なのです。ですから、私たちはこの「基軸」をしっかりと自分自身の生活の中に据えたいと思います。基軸があれば、人生が曇ったり、大雨になったり、時には嵐や台風や地震になったとしても、揺れないのです。私たちの人生を丸ごと引き受け、背負って持ち運んで下さるのが「歴史を背負う神」です。 

まとめ:
アドベントに際して、心に刻んでおきたいと思います。それは、歴史というものは、民族の歴史も、教会の歴史も、個人の歴史も、流動するもの、移り変わるものです。その歴史を丸ごと抱きかかえて、背負って下さるのが聖書の神様なのです。
歴史を背負われる神は、あなたの人生を力強く担い、背負い、天国に帰る日まで持ち運んで下さいます。
 Margaret F. Powers の詩「Foots Print(足跡)」を紹介して終わりましょう。


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