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2008/12/14(日)
「あなたが幸せになるしるし」大嶋博道牧師
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アドベント(V)礼拝 (聖書)ルカ2:8〜12 序 論: クリスマスはイエス・キリストがお生まれになった日で、神学的な言い方をすれば、「ロゴスなる神の受肉、即ち神が人となられた日」であります。ルカは具体的にこの事実を次のように伝えています。 @すべての人の「喜び」を告げる A今日、ダビデの町(ベツレヘム)に救い主が生まれた。 B家畜小屋の飼い葉桶の中に、布にくるまって寝かされている乳飲み子、これが「救い主メシアのしるし」である、と。 「しるし」とは、目印(a mark)とか証拠(evidence)という意味です。 さて、ある神学者が「飼い葉桶にすべての人にとっての永遠の宝が存在する」と言いましたが、今朝、クリスマスに際して一つの大事なことをお伝えしたいと願っています。それは「私たちにとって幸せになるしるしはどこにあるのか?」ということ。その結論は明らかです。この飼い葉桶の中にです。幼子イエスこそしるしだというのです。
ところで、私たちが今、住んでいる世界は「暗闇」が支配しています。 「暗闇」とは辞書によると、「全く光がなく、暗いこと」また「人目につかないところ。人の知らないところ。そして「見通しがたたず、将来に希望の持てないこと」と説明されています。 確かに、人間世界は「暗闇」が支配しています。戦争や紛争やテロという暗闇、貧困や飢餓という暗闇、自然災害という暗闇、病気という暗闇、また、資源や食糧不足、地球温暖化などの暗闇、目を身近なところに向けると、政治や教育の混乱や道徳・倫理の腐敗、DVやいじめや凶悪犯罪という暗闇、人間関係の歪みやズレ・不信という暗闇、家庭の崩壊という暗闇、そして孤独や不安や恐れという暗闇、生きる意味喪失という暗闇が私たちを包み込むように覆っています。 まさに暗闇は絶望であり、死そのものを意味しています。 本 論: キリスト教は「しるしの宗教」と言われています。 2000年前、ルカははっきりと、ここに「しるし」がある。ここに、あなたがたの「拠り所」がある、ここに「幸い」が、「祝福」が、そして「救い」がある、と貧しい家畜小屋の飼い葉桶にスポットを当てました。このような暗闇の中で、私たちが幸せになるしるし、家族が平和に暮らすことができるしるし、お互いが健康で末長く生きることが出来る「しるし」はどこにあるのでしょうか? それは、私たちがルカ2:11〜12の飼い葉桶の幼子イエスに表されたような生き方をすることでありましょう。 それは、 (1)低くなること−仕えるしもべの生き方 (マルコ10:43〜45) (2)貧しくなること−出来るだけ人に与えること、分かち合うこと (コリント二8:9) (3)弱さを受け入れること−自分の弱さを誇る (コリント二12:9〜10) (4)愛に根ざして生きる (エフェソ3:17) これらのことは、極めて難しいことですが、イエス・キリストご自身がそれを実践され、また、教えられました。日々の生活の中で、私自身も最善を尽くして行いたいと切に願っています。このような謙虚な生き方、愛に溢れた生き方の中に、本当の幸いが備えられていることを確信します。 まとめ: 17世紀のドイツの詩人A.シレジウスの詩を紹介して終わります。 「キリストがベツレヘムに千度生まれたもうとも、キリストがあなたの心のうちに生まれたまわなければ、あなたの魂はなお捨てられたり。」
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