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2008/02/17(日)
「祈りを聞き、涙を見た」大嶋博道牧師
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聖日礼拝(教会総会の日)(聖書) 列王記下20:1〜11 序 論: BC701年頃、南王国ユダのヒゼキア王は「人生の真っ盛り」の時に「死の病」に冒されました。 預言者はイザヤは彼を訪れ「あなたは死ぬ事になっているから、家族に遺言をしなさい」と残酷な預言とアドバイズをしました。この言葉を聞いたヒゼキヤは壁に顔を向けて心から祈ります。 彼は人目もはばからず、心の底から涙を流して神に「病の癒し」を祈り続けました。 ヒゼキヤは列王記下18章5節〜によると@主の戒めを良く守りA主がいつもともに居られB彼が企てた事はすべて成功したと記録されているように歴代の王の中で最も信仰深いすばらしい王でした。彼の命がけの祈りはついに聞かれ、さらに15年の寿命が延ばされたのです。
本 論: さて、本日のみ言葉から次の事を学びましょう。 @「主は私たちの流す涙を見ておられる」と言う事がその第1の事です。 私たちは人生の中で実に多くの涙を流します。病気や仕事の失敗や人間関係の難しさなどから引き起こされる苦しみや痛みや寂しさなどで涙を流し、自らの弱さや欠け、非力から涙を流します。 そのような私たちを主は見ておられます。そしてその悲しみの涙の意味を分かって下さり、流した涙をしっかりと受け止めてくださるのです。詩編の詩人は「あなたの革袋にわたしの涙を蓄えて下さい」(詩編56:9)と懇願しています。神様は見ておられるお方です。ですから、私たちも真実に神に向き合いたいと思います。
A「主は祈りを聞いてくださるお方である」と言う事がその第2の事です。 私たちが祈る祈りは必ず神に聞き届けられます。神は祈りを受け止めて下さるお方です。ただし、「祈りが聞かれる」と言う事は私たちの祈り(願い・要求・希望)がそのとおりに神に聞かれる と言うことではないのです。時には私たちの祈りとは別の結果が与えられることもあります。しかしながら、神様は私たちの人生を「神の御心」に従って最善に導かれるのです。それは、当初私たちが願っていた以上のすばらしい祝福となるのです。
ではどのように祈ればよいのでしょうか。その祈り方は次の通りです。 @失望せずに祈り続ける事です。「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」とルカ18章1節にある通りです。 A信仰に基づいて祈る事です。「信仰に基づく祈りは・・・主がその人を起き上がらせてくださる」とヤコブ5章15節にある通りです。 B絶えず祈ると言う事です。「絶えず祈りなさい」とTテサロニケ5章17節にある通りです。 まとめ: ヒゼキアは死の病から救われて、結局、15年間生き延びました。神が与えて下さった15年間の恵みです。彼は偉大な王として素晴らしい功績を残してこの世を去りました。 命がけの信仰、直向きな祈り、従順な信仰の歩みは必ず祝福されます。なぜなら、神はあなたの真剣な祈りと涙の叫びを分かって下さり、御心に受け止めて、最善をなして下さるお方ですから。 祝福をお祈り致します。
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