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2008/03/02(日)
「人生のゲッセマネで」大嶋博道牧師
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総員礼拝・聖餐式 ルカ22:39〜46 序 論: 人生には様々な場面があります。幸せな時・不幸な時、嬉しい時・悲しい時、順境の時・逆境の時…そのような中で、私たちはどう決断し、どう生きたら良いのかと、しばしば「葛藤」することがあります。 今日の聖書の箇所は主イエスの「葛藤」が書かれています。 主イエスは十字架を目前にした木曜日の夜、最後の晩餐を終えて弟子たちを伴い、普段から祈りの場として使っていたオリーブ山のゲッセマネの園(庭)に行きます。 ゲッセマネとは「油しぼり機」と言う意味があります。その象徴的なゲッセマネでイエスは3人の弟子たちと最後の祈りの時を持たれました。
本 論: この物語から、私たちが出会う「人生のゲッセマネ」とはどのようなものなのか、どう対処したら良いのかを学びたいと思います。
@人生のゲッセマネとは、人間の本質が弱さと罪深さであると言う事を確認するところです。私たちはしばしば失敗し、迷い、悩み、病を患い、欠けを感じます。主イエスはゲッセマネで「人間イエス」として最後の苦しみを味わわれました。「わたしは死ぬばかりに悲しい」と訴えておられます。(マルコ14:34)そのような人間の弱さを確認するのが人生のゲッセマネであると言えます。
A人生のゲッセマネとは、神のみ心を求めて祈りによって神と向かい合うところです。 主イエスは42節で「父よ、み心なら…」と祈られています。キリスト者は自分の計画や思いで行動するのではなく、まず、祈って、み言葉に聴きながら「父よ、み心なら…」と神様のみ心を求めて確信を与えられてから行動します。み心を知るために神と向き合い、時には神と組み討ちする必要があります。それが人生のゲッセマネです。
B人生のゲッセマネとは、信頼と平安を与えられるところです。私たちには「人生の」ゲッセマネ(葛藤)があります。しかし、神様と向かい合う時に平安が与えられるのです。 苦しみの後で、神に信頼して「立ち上がる事」が出来るのです。主イエスは十字架に向かって「立て、行こう」と、勝利が与えられました。
まとめ: このような大きなエネルギーが与えられるところが「人生のゲッセマネ」なのです。(ローマ8:37) 私たちも「人生のゲッセマネ」に直面したときは、真剣に祈りとみ言葉とメッセージによって神と向き合ってみ心を求め、導きをいただき、平安を与えられましょう。(祈祝福)
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