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2008/03/09(日)
「ああ主の熱きひとみ」大嶋博道牧師
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聖日礼拝(聖書)ルカ22:54〜62 序 論: 今日のメッセージの中心は、イエス様を3度も知らないと否認したペトロに向けられたイエス様の「ひとみ」に込められたメッセージは何だったのか?であります。まず、裁判までの経緯を見ておきましょう。
(1)最後の晩餐の時にイエス様は弟子達の裏切りを予告。(ルカ22:31〜) (2)ペトロは「主よ、あなたとご一緒なら、牢に入っても死んでも良いと覚悟しています。」 と、自分の信仰の決意を語った。(ルカ22:33) (3)イエス様は「あなたは鶏がなくまでに3度私を知らないと言う」予告された。 やがて、イエス様はゲッセマネで捕らえられ、大祭司カヤパの官邸で略式の裁判を受けます。ペトロはヨハネの介添えで官邸の中庭に恐る恐る入り込み、裁判の成り行きを見守ります。 その時、そこにいた人々から「お前もイエスの仲間だ」と問いつめられて3度も「イエスを知らない」と否認したのです。その時、朝を告げる鶏が鳴きます。 ルカだけが「主は振り向いてペトロを見つめられた」(ルカ22:61) (The Lord Jesus turned and looked straight at Peter.)と、記しています。
本 論: このイエスの「ひとみ」に込められたメッセージを考えてみたい。それは決してペトロを侮辱し、責め立て、裁くものではなく、 (1)最後まで従いきることができないペトロの弱さと不信仰を深く憐れむと共に、 (2)そのペトロを赦し、励まし、支えるまなざしではないでしょうか。
この主の赦しのまなざしが、後でペトロを立ち直らせます。そしてもう一度主の弟子として立たせていくのです。彼はペンテコステ(聖霊降臨日)の直後から、初代教会の使徒や信徒たちのリーダーとして立ち上がります。
やがて、主の赦しの十字架を悟ったペトロは、「キリストは十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました」(1ペトロ2章24節)と、書き記すに至ったのです。
まとめ: わたしたちも主につき従う信仰の歩みの中で時に失敗し、過ちを犯し、挫折する時があります。しかし主イエスはそのような私たちを憐れみ、励ましていかなる状況の中においても信仰者として立たせて下さるのです。この「主の熱きひとみ」に見守られながら、ひたすら謙虚に主に従って行きましょまう。
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