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2008/05/25(日) 「神はあなたを愛しておられる」 D.ペリー先生
特別英語礼拝(通訳:大嶋牧師) (聖書)ヨハネ3:16

お招きにあずかりまして、皆様と共に礼拝を守ることが出来て嬉しく感じています。神の豊かな祝福をお祈り致します。

今朝はR.M.Pippertの「HOPE HAS ITS REASON(希望にはその理由がある)」から、70年前にヤコブというユダヤ人に起こった実話をお話致します。

 妻の裏切りで強制収容所へ
ヤコブはユダヤ人でない妻と一人の息子と共に、裕福で恵まれた日々を送っていました。が、第二次世界大戦の最中、ドイツではナチス・ヒットラーがユダヤ人撲滅を謀り、次々に強制収容所に連行していました。そのような中で、彼は妻の裏切りにより強制収容所に入れられ、苦痛と恥辱とを受けて生きる気力さえ失い、絶望の日々を体験をしました。

 解放され兄弟に会うため故国イスラエルヘ
戦争が終わり、彼は解放され、すぐ実家に戻りますが、家には妻も子どももおらず、結局、彼は警察のお世話で故国イスラエルに行き、兄弟を訪ねます。しかし、兄弟は変わり果てたヤコブを受け入れず、彼は疲労と絶望の中で公園のベンチで静かに死のうと思っていました。

 一人の無垢な少女との出会い
一人の10代の少女が友だちと公園にやって来て、ヤコブに声をかけます。彼女はバス停を一つ間違えて降りた時に、恐ろしいほど悲しそうな顔をしてベンチに横たわっているヤコブに気づいて何か伝えたいと思って近づいてきたのです。

 「イエス様はあなたを愛しています!」
少女は心を込めて、神が彼女に語るように言われた一つのことをヤコブに話します。それは「イエス様はあなたを愛しています」ということだったのです。
最初はヤコブはこの無垢な少女の言葉を受け入れられなかったが、彼女の熱意と真実に心が動かされて、ついに彼女の言葉を信じたのです。

 ヤコブの新しい人生の始まり
やがて、少女の家族にお世話になり、聖書を学び、祈りながら一年間過ごします。その間に健康も回復し、彼はアパートに移り住み、良い仕事に恵まれて再び恵まれた人生を手に入れたのです。 後になって、彼は自分の人生を回想し、あの公園のベンチで少女に出会い「イエス様が愛しておられる」という言葉が正しかったこと、その日から人生が新しく変えられたことを感謝したのです。

  悲しく辛い時には愛の神は近くにおられる!
私たちもヤコブと同じように様々な苦痛を経験する時があります。外面的には幸せそうでも内面において不幸を感じている場合もあります。そんな時、思い起こしていただきたい「イエス様はあなたをこよなく愛しておられること」を。
 ただ一途に「イエス様、私はあなたを必要としています。私の良き友となってください」と祈りましょう。神は今もあなたを愛し、助けて下さいます。

2008/05/18(日) 「イエスの名を背負って」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)使徒言行録3:1〜10

序 論:
 今日のみ言葉の中心は6節「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」です。私たちクリスチャンの生き方は、イエスの名を背負って生きていくと言う事です。即ち、イエス・キリストを人生の目的として生きる、イエス・キリストに自分の人生の全てを委ねて生きると言う生き方です。
足の不自由な男の人が「美しい門」のところにいるとペテロとヨハネが「私を見なさい」と言い、続いて「ナザレ人のイエスの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言うとその男は立ち上がり歩き出し、神を讃美したのです。「ナザレ人のイエス」と言う言い方は確かに歴史上存在し、今も甦って生きておられる「現臨のイエス」と言う事を表しています。

本 論:
さて、このナザレの人「イエスの名」とは何を指すのでしょうか。
@「イエスの名」とは、神の臨在の印を意味します。
イエスは「インマヌエル(神我らと共に)」と呼ばれています。ですから、イエスの名によって歩くとは神様が私の生活にかかわっていてくださると言う事を意味します。

A「イエスの名」とは、神の権威を示します。
宗教家たちが「何の権威によってそうするのか?」と尋ねた時、弟子たちは「イエスの名」と答えています。(使徒4:7,4:10)私たちはイエスの名に人生の権威を見出すことができるのです。

B「イエスの名」とは、救いの印です。
4章12節に「ほかのだれによっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」とある通りです。

C「イエスの名」とは、人生の導きの印です。
3章の15節に「命の導き手である方」とある通りです。このお方によって、私たちの生涯は豊かに導かれるのです。

まとめ:
 私たちの生き方はコロサイの信徒への手紙3章17節に「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」とある通り、何をするにしても主イエスとかかわって、主イエスに抱かれて、主イエスに繋がって生活する事です。神の言葉である聖書に聴き従って、支えられて生きる事こそイエスを背負って歩むと言う事なのです。あなたも生涯、イエスの名を背負って、豊かな人生を歩みませんか!

2008/05/11(日) 「交わりの回復」大嶋博道牧師
母の日・ペンテコステ記念礼拝(聖書)使徒言行録2:1〜13

今日はペンテコステ礼拝です。と同時に「母の日礼拝」です。母の事を思いながら礼拝を守りたいと思います。〔聖霊降臨の出来事〕
 さて、聖霊降臨日とは「教会の誕生日」です。イエスキリストが甦られて「第50番目」の日です。聖書によると、主イエスを待ち望む弟子たちや信徒たち一同が「一つになって集まっている」時に「風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き、そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ」て1人1人の上にとどまり、一同は聖霊に満たされて「霊」が語らせるままに「ほかの国々の言葉」で話し出しました。

〔バベルの混乱〕
 この聖書の箇所は創世記11章のバベルの塔の物語と対比して読むことができます。
元々、人は同じ言葉を話していましたが、神の御心から離れ、地に満ちて広がることよりも一つに集まることを望み、さらに、神のようになることを望み、文明・文化の力を誇示して「天まで届く塔のある町を建てて有名になろう」としました。彼らは神の怒りをかい、全世界に散らされ、言葉も互い違い(混乱)になりました。

〔聖霊降臨−交わりの回復〕
 聖霊降臨節の時にはエルサレムにあらゆる国から人々が来ていましたが、それぞれが自分の国の言葉で話されるのを聞いて驚き、あっけに取られ、驚き、戸惑いました。
 バベルの塔の出来事では言葉が混乱し「交わりが断絶」してしまいました。
そして今日の聖書の出来事では、即ち聖霊降臨によって「言葉が回復し、人々の交流が始まり」ました。
 さて、私たちの本当の交わりのためには何が必要でしょうか。今日はこの事を皆さんに宿題としておきたいと思います。使徒2章1〜4節によると、人々に聖霊が降り、人々は心を一つにする事が出来たとありますが、この事が答えのヒントです。

〔真のコイノーニア(交わり)とは〕
 真の交わりとは「家族であれ、地域であれ、職場であれ、何か共通のものを所有すること、分かち合うこと」を意味します。「新たな交わりの立ち上げ」「今ある交わりの継続」のためにどうしたら良いか、と言う事を是非皆さんで考えていただきたいと思います。
   
◇牧師の加筆◇(宿題の答えを幾つか書かせていただきます)   
@聖霊(神の聖なる力)によらなければ真の交わりの回復はない。
A謙遜と柔和と寛容の心をもって人と接すること。      B愛をもって互いに忍びあうこと。
C相手の欠点や弱さを受け入れること。
Dゆるすことがあっても決して裁かないこと。「赦し」とは過去を手放すことです。
交わりの回復のためにこれらの「心」を身に着けるためにも、私たちは十字架に架かられて、貴いいのちを犠牲にされたイエス・キリストの「贖いのみ業」を心から信じて救いにあずかり、永遠のいのちをいただき、日々、喜びと感謝と平安と希望に満たされて生きたいものです。信仰によって「交わりの回復」は必ず実現致します。(1ヨハネ1:3,コロサイ3:1〜15参照)

2008/05/04(日) 「ゆるせない苦しみ」ウイルキンズ祐子カンボジア宣教師
特別礼拝 エフェソ4:25〜32 

はじめに:
私たちは2002年からカンボジアのプノンペンに遣わされて、「チャイルドケア(250人程度のサポート)「大学生のサポート(40人程度)」「カンボジアにフリーメソジストの教会設立準備」等をとおして宣教と教育の働きに従事しています。
カンボジアで働くようになって、この国はたくさんの「負の苦しみ」を抱えていることを知るようになりました。悲惨な歴史の中で、傷つけられ、痛めつけられた人々が何年経っても相手を憎み続けていること、「ゆるせない苦しみ」を味わっていることを痛感しています。

序 論:
実は私たちも、彼らと同じように「他人を決してゆるせない苦しみ」を持っています。これは世界共通のものです。
今朝のテキストでパウロは「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と命じ、さらに「悪い言葉を一切口にしてはなりません」と命じていますが、私たちは他人から言葉や態度で受けた傷や無視されたり疎外されたり誤解されたことは決して忘れられず、赦すことが出来ません。そういく苦しみを背負って生きています。
では、この苦しみから解放されるためにはどうしたらいいのでしょうか?聖書から学びましょう。

本 論:
(1)まず、自分が神に赦された者であることを知りましょう。神はキリストの十字架の犠牲によって、私たちの罪を赦してくださいました。(エフェソ4:32) クリスチャンは赦された存在です。

(2)神の赦しを知りましょう。イエス・キリストは十字架において、父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのかわからないのです。」(ルカ23:34)と、父なる神に祈りました。
神は徹底的に赦してくださるお方です。(マタイ18:21〜35の譬えを参照)

(3)私たちが赦しを選び取ること。私たちは危害を与えた相手を憎み続けるか、赦すかを選び取ることができます。選び取るとは「裁きの主権を神様に委ねることです。私たちが相手を裁くのではなく、神ご自身にその裁きをお任せすること、これが赦しを選び取り、「ゆるせない苦しみ」から解放される秘訣です。

まとめ:
他の人をゆるさない事によって私たち自身が罪を犯さないようにしましょう。(26節)「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」とみ言葉にある通りです。
怒る事はゆるされていますが、罪を犯す事はゆるされてはいないのです。いかなる事があっても「悪魔にすきを与えて」はならないのです。怒りを神に委ねるのです。ご自身の死をもって私たち
の罪を赦してくださる神は必ずとりなしてくださり、赦してくださるのです。感謝しましょう。
(ローマ12:17〜21参照)


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