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2008/05/18(日) 「イエスの名を背負って」大嶋博道牧師
聖日礼拝 (聖書)使徒言行録3:1〜10

序 論:
 今日のみ言葉の中心は6節「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」です。私たちクリスチャンの生き方は、イエスの名を背負って生きていくと言う事です。即ち、イエス・キリストを人生の目的として生きる、イエス・キリストに自分の人生の全てを委ねて生きると言う生き方です。
足の不自由な男の人が「美しい門」のところにいるとペテロとヨハネが「私を見なさい」と言い、続いて「ナザレ人のイエスの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言うとその男は立ち上がり歩き出し、神を讃美したのです。「ナザレ人のイエス」と言う言い方は確かに歴史上存在し、今も甦って生きておられる「現臨のイエス」と言う事を表しています。

本 論:
さて、このナザレの人「イエスの名」とは何を指すのでしょうか。
@「イエスの名」とは、神の臨在の印を意味します。
イエスは「インマヌエル(神我らと共に)」と呼ばれています。ですから、イエスの名によって歩くとは神様が私の生活にかかわっていてくださると言う事を意味します。

A「イエスの名」とは、神の権威を示します。
宗教家たちが「何の権威によってそうするのか?」と尋ねた時、弟子たちは「イエスの名」と答えています。(使徒4:7,4:10)私たちはイエスの名に人生の権威を見出すことができるのです。

B「イエスの名」とは、救いの印です。
4章12節に「ほかのだれによっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」とある通りです。

C「イエスの名」とは、人生の導きの印です。
3章の15節に「命の導き手である方」とある通りです。このお方によって、私たちの生涯は豊かに導かれるのです。

まとめ:
 私たちの生き方はコロサイの信徒への手紙3章17節に「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」とある通り、何をするにしても主イエスとかかわって、主イエスに抱かれて、主イエスに繋がって生活する事です。神の言葉である聖書に聴き従って、支えられて生きる事こそイエスを背負って歩むと言う事なのです。あなたも生涯、イエスの名を背負って、豊かな人生を歩みませんか!


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