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2008/06/22(日)
「キリストに倣う者」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)フィリピ3:12〜21(2:6〜8) 序 論: イエス・キリストを信じて洗礼を受けた人を「クリスチャン」と呼びます。 聖書に、最初に「クリスチャン」という言葉が登場するのは使徒言行録11:26です。 人々は昼も夜もずっと「キリスト」「キリスト」とその名を口にしていたのです。それで、人々は「クリスチアノス」とあだ名したのです。。そして「クリスチャンとはキリストに属する者」という意味だけでなく、キリストとの有機的結合の中で彼の命と性質を持っており、日常生活の中で彼によって生きており、さらに 彼を生きている者たちです。 もう一つ、「クリスチャン」の本来のあるべき姿は「キリストに倣う者」であります。パウロは諸教会に書き送った手紙の中で「キリストに倣え」と命令しています。 @コリント一11:1「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」倣うと訳されているギリシャ語「ミメオマイ」は「模範にする」という意味があります。中世のトマス・ア・ケンピスが「イミタチオ・クリスティ(キリストに倣いて)」を著したのは有名です。
本 論: では、具体的に、「キリストに倣う者」とはどのような姿なのかをパウロが書き送ったフィリピの信徒への手紙から学びたいと思います。フィリピ2:6〜8 キリスト賛歌からお伝えします。
(1)自分を無にする−自分を捨てること(固守しない=しがみつかない)相手を生かすこと(相手と共に生きていこうとすること)
(2)僕の身分になる−奴隷になること、徹底的に仕えること。仕えるとは相手が気持ちよく過ごせるように色々心を使い、体を使って、相手に喜んで貰うように 努めること。
(3)へりくだる−@神様に信頼するA忍耐してじっと待つことB人を自分より優れた者とすることC自分の罪を認めて悔い改めることD神様から新たなる力を戴いてもう一歩前進すること
(4)死に至るまで従順−従順とは自分の意志を相手の意志に従わせることです。 最も苦しい犠牲が求められます。ここに一貫して流れているのは、徹底的に「人に仕える姿」であります。
まとめ:マルコ10:43〜45の主イエスの言葉からまとめます。 「偉くなりたい者は、皆に仕える者になれ、一番上になりたい者は、すべての僕になりなさい」そして、弟子の足を洗われた姿にあるように、人の「弱さ」や「欠け」を補うことができるような謙虚な生き方であります。日々、イエスに倣う者とされましょう。
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