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2008/08/10(日)
「平和―あなたの敵を愛しなさい」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)ルカ6:27〜36 〔説教のレジメをとおして〕 人間は何故争い、傷つけ合うのでしょうか?8月6日は広島に、9日は長崎に原爆が投下され、15日は終戦記念日です。8月は平和を願う月なのです。 □隣人とはだれなのか? さて、「隣人」とはどのような人を言うのでしようか。それは「隣に住む人」であり、「生活共同体を共にする人」であり、「仲間」であり「もう1人の自己」なのです。言い換えるならば「隣人」とは自分に危害を加えない人であり、自分に好意を寄せてくれる人です。この隣人愛についてキリストは「行ってあなたがたも同じようにしなさい」と言われているように「他者と積極的に関わる事」を教えておられます。 □敵とはどのような存在なのか? そして「敵」とはどのような人を言うのでしょうか。それは、(私・大嶋が思う敵とは)「自分に嫌な思いをさせる人」「私を相応しく扱ってくれない人」「私に迷惑をかける人」「私を認めてくれない人」だと思います。 □「目には目を歯には歯を」と言われているが・・・ さて、「目には目を、歯には歯を」と言う諺がありますが、これは自分が受けた以上の復讐をしてはならないと言う意味が含まれています。 イエスはこの「敵」に対して、その敵の為に、 @その敵を愛しなさい。 Aその敵に親切にしなさい。 Bその敵の祝福を祈りなさい。 Cその敵の為に祈りなさい、と今日のみ言葉を通して教えておられます。 □敵を愛するとは? 「敵を愛する」とは一体どのような事を言うのでしょうか。それは「敵である人の存在を否定せず」「その敵の存在のために祈る事」「その敵の存在と共に関わりを持って生きる事」なのです。この事を可能にするのはエフェソ2章14〜18節に教えられている通りなのです。則ち「…実にキリストはわたしたちの平和です。二つのものを一つにし…敵意と言う隔ての壁を取り壊してくださり、その代償として十字架の上で死んでくださいました」 ですから「愛」には痛むこと、傷つくこと、時には自分のいのちを犠牲にするほどの代償を伴うのです。だから「愛」はいつまでも絶えることがないのです。 「敵を愛する」ことを生涯のテーマにしてキリスト者として信仰生活を送りたいものです。
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