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2008/08/03(日)
「キイスト者の人生姿勢」大嶋博道牧師
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総員礼拝 ヘブライ12:1〜2 序 論: ●私たちが日々の生活の中で、どのように生きようとしているのか、どこに目を向けて 生きているのかと言うことで人生の方向が決まってきます。 聖書の中にその反面教師を見るならば「アブラハムの時代のロトの妻」(神の命に背いて後ろを見、塩の柱となりました)、イエスに目を向けないで風に目を向けたペテロ(湖上で風に目を向けたので怖くなりおぼれかけました)、そして財に目を向けて命を絶たれたアナニヤとサッピラなどがいます。 私たちの視線の先には私たちの心があります。そこには関心事があります。では、私たちはどこに目を向けて生きれば良いのでしょうか。
本 論: ●それは次の2点に集約する事が出来ます。 @フィリピ3章12〜14章に「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向け」なさいとあります。なぜ、後ろのものを忘れるのか?それは、過去にはゴールが無いからです。 過去には目標が無いからです。そして、前には目標があります。ですから、前のものに全身を向けて歩むと言う事がその第1の事なのです。
Aヘブライ12章2節に「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」歩もう、とあります。第2の目のつけどころとは「イエス・キリストを見つめながら歩む」と言う事なのです。「イエスを見つめながら」とは、イエスから目を離さないで、イエスに釘付けにされながらということであり、具体的には礼拝生活であり、日々のデボーション生活であり、神のみ言葉に傾聴する生活であり、献身と奉仕の生活です。このお方に私たちの全てを委ねて人生を走り抜けたいものです。
まとめ: 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリント二4:18)のみ言葉のように、見えないもの(永遠)に目を向けて歩み続けたいものです。
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