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2009/10/25(日)
「危機の真っ直中に生きる私」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 (聖書)マタイ14:22〜33 序 論: 今日のテキストから二つのことを学びたいと思います。 (1)私たちの人生においては、思いがけない逆風のために「波に悩まされることが度々ある。 (2)その中でも、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と手を差し伸べ、励ましてくださる愛の神、主イエス・キリストが確かにおられる。 9月末に北海道で行われた日本伝道会議のテーマは「危機の時代における宣教協力」であった。「危機」とは何か。まず、地球規模、世界規模で考えると、温暖化、資源不足、食料不足、また、戦争、テロ、迫害、そして価値観の違いによる人々の不一致、また記憶にも新しい世界金融危機。こういった問題が世界に暗雲をもたらし、危機を増長している。 先日フィリピンで行われたビショップ会議で、アフリカのビショップは、「私たちの国には内戦やテロのために平和がない。貧困・飢餓、さらにエイズが蔓延している」と訴えていた。これは私たち日本人が日常に感じる危機とは随分異なっている。危機とは、一人一人、その置かれた環境によって異なる。いずれにしても、危機とは私たち一人一人の生活を妨げるとてつもない「波」なのである。 本 論: (1)24節にあるように私たちの人生は、逆風による波に悩まされることがある。こぎ悩むことがしばしばある。クリスチャンには逆風は吹かず、漕ぎ悩むことはない、というようなことはない。信仰生活においても逆風に悩まされ、波によって前進を妨げられることもある。ヨブの体験で分かるように、私たちは幸いと共に不幸をも頂いているのである。ヨハネ16:33には「あなたがたはこの世では苦難がある」と、またマタイ6章では「思い悩むな」と何度も主イエスは言われる。 聖書は私たちの人生の中に、苦難が生じることを言及している。そのことを受け止めることから始めよう。 (2)そのような中にある私たちに手を差し伸べ、「大丈夫、安心しなさい」と、声をかけてくださる方がおられる。(29節参照)ペトロは、湖上でイエスに出会った時、そこに歩いて行けるよう願った。そして「来なさい」と言われたイエス様のところへ歩み始めた時、風に気付いて(ギリシア語のβρεπω(ブレポー)は「気付く」という意味もあるが、「見る」が適切だろう)沈みかけた。イエスはペトロに手を差し伸べて助けられた。 私たちの生活の中で、逆風の時、問題に直面する時、信仰が力強く私たちを支えてくれる。
「信仰とは、逆風の中で対抗していく力である」 Tコリント10:13にあるように、逆風の中でも神は真実な方であると確信するのは信仰の力である。この信仰の力によって、「逆風よ来れ」、「試練よ来れ」と言えるようになりたい。主が 前から、後ろから支えてくださる。逆風の中で、凛として立つ。これが私たちの信仰でありたい。 ヘブライ12:2のみ言葉のように、主から絶対に目を離さないで、波を見ず、風を見ず、主イエスだけを見つめて歩んで行きたい。
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