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2009/10/18(日) 「静まりの中で」馬場一朗牧師
特別礼拝 〈詩篇)詩編46:11

●聖書のみ言葉は日々新たにいただくものです。神は生きておられるのですから今、私たちに必要なみ言葉をくださいます。神がくださる「マナ」は余分に明日の分まで取って置くと腐って役に立たなくなり必要な時にいただいた「マナ」は私たちを生かしてくださいます。ですから今日は私が最近経験した中でいただいたみ言葉を取り次がせていただきます。

●私は今年の9月19日から29日まで入院しました。その時に大嶋理事長がお見舞いに来てくださり詩編46章2節「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」と言うみ言葉を読んで祈ってまださいました。
その夜に改めて詩編46章全体を吟読した時に「避けどころである主の臨在」と共に口語訳聖書マルコ6章31節「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所に行って、しばらく休むがよい」と言うみ言葉を与えられました。いつも忙しくしていて見舞う事はあっても見舞われる事がなかった私に「主は静まってわたしこそ主であることを知れ」と言われたのです。

●信仰の中で「静まり」とは「聖書のみ言葉を読む、祈る、黙想する」と言う大切な事を意味します。この事を知る事が信仰生活を勝利する秘訣です。静まろうと意識して静まる事は大切ですが、そのように自分で静まる事が出来ない時に神様は私にしてくださったように「静まり」の時を与えてくださるのです。

●列王記上の17章から19章にアハブ王、イゼベル王妃との戦いに明け暮れた物語があります。異教のバアルの神と真の神との戦いの物語です。「カルメル山での戦いと勝利」「イゼベルの脅しと恐れ。逃亡。そして死にたいとの告白」それに対して「洞穴でのあなたはここでなにをしているのかと言う問いかけとエリ
ヤの自己主張」そして「出て、山の上で主の前に立ちなさい」と言う主のご命令のあとに「静かにささやく声が聞こえた」(19章12節)とあります。静まって耳を澄まさなければ聞こえないささやきの声です。静まりの中で、神の細き声を聞くことによって、そしてその声に委ねる事によって信仰生活は勝利します。主に委ねる事ができるかと言うことです。この事〜主に委ねる事が出来るかどうかは結局自分との戦いでもあるのです。

(列王記上17〜19章を詳しく説明してくださいました。理解を深めるためにも是非皆様も今一度お読みくださいますように…)


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