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2009/11/29(日)
「万軍の主の熱意がクリスマス」大嶋博道牧師
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アドベント(1) (聖書)イザヤ書9:1〜6 序 論: イザヤ9:6が今日の中心である。5節の主の降誕の預言と合わせてもう一度見てみたい。 「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」これがポイントである。1節に、暗闇、死の陰の地とあるように、イザヤの時代は暗黒の時代であった。そのような中で、イザヤは暗黒を照らすまこ との光を見たと記している。 21世紀に生きる私たちも本質的にはイザヤの時代と変わらない暗黒を経験している。神学者のポール・ティリッヒは人間には潜在的に3つの不安があるという。 1.意味喪失の不安-生 きる意味がわからない。一生懸命やっても実感がない。 2.罪過と呪いの不安-悪いことばか り起きると、神に呪われている、見放されたと感じる。 3.死の不安-人の心の一番奥底に、 潜在的にある。実は、これらに対する答えが今日の箇所に記されているのである。 イザヤ書はBC700年頃に書かれ、24節は戦争の勝利の喜びを詩的に記している。そして、5節には主の降誕の預言が、実際にその目で見たかのように過去完了形で記されている。 主の降誕の700年も前のことである。
本 論: 万軍の主の熱意とは、 1.創世記3:21-罪人となったアダムたちに、枯れてしまういちぢくの葉の代わりに、神は獣の皮で身体を覆うものを造られた.この出来事の中に始まっている。 2.アブラハムに対して―あなたをとおして多くの子孫が、そして、その子孫をとおして多くの人々が祝福を得ると約束された。神がアブラハムにこだわられた中にも存在する。 3.出エジプト20:5-わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。イスラエルの民に十戒を与えられた神の熱情の中にも存在する。 これらから読み取るのは、神の徹底した「こだわり」であり、「集中」であり、激しいばかりの「熱情」である。この「熱意」という単語は、嫉妬とも訳することができる。神は嫉妬される方 である。その嫉妬とは、人のように他者を呪う嫉妬ではなく、嫉妬するほどにあなたを愛し、あなたの救いのために全力を注ぐ、だからあなたが私から離れるなら私はあなたに嫉妬を抱くとい うことなのである。これが神の熱意、そして決意である。そしてこれが成就したのがクリスマスである。
この主の思いに答えるには、このお方を信じること、主に全てを明け渡すこと、委ねること。パウロは、「私は無から有を創られる主を信じる」と言った。無から有を創ることは不可能である。 しかし、それを可能とする、それほどの熱意をもって主は奇跡を成すのである。「愛」という字を草書体で書くと、中心に十字架が浮かび上がる。愛の中に十字架が、すなわち、十字架とは主の愛である。万軍の主の熱意が一人一人の心に宿るように祈り願う。
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