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2009/11/08(日) 「神の国の祝福に与る人」大嶋博道牧師
子ども祝福礼拝 <聖書)マルコ10:13〜16

聖書はクリスチャンが日々、神の国に目を向け、神の国を求め生きることを願っている。聖書は神の国のことを多く言及している。マタイ6:33や、その平行記事では、神の国を一途に求めよと語る。衣食住など、私たちの目先にあることに目を留めるなと言う。それは、神の国を第一に求めるならば、それらは神によって与えられるからである。イエス・キリストは、最初に「神の国は近づいた」と宣言された。また、その宣教において、至る所で「神の国の譬」をされた。

神の国とは何だろうか。
1.神の国(ο βασιλεια το θεου)とは神の支配、神の領域を意味する。すなわち、神の臨在が神の国である。
2.神の国は、場所や空間を意味しているのではなく、ルカ12:27にあるように、神が共におられると信仰によって私たちが確信するところが神の国である。
3.主の祈りの中に、「御心が天になるごとく地にも…」とあるように、神の御心が行われるところに神の国がある。
4.J.ウェスレーは「あなたがたの心を神が支配している時に、神の国がなる」と言った。
5.101歳になる今も現役牧師である父は、クリスチャンが聖霊と聖書によって完全に支配されており、喜びと感謝をもって生かされているところに神の国はあると言った。具体的には、礼拝時、霊と真実をもって礼拝している人の内に神の国はある。また、その心を持って生活をしているところに神の国はある。
 神の国とは、天の国のことだけを意味するのではなく、神の支配を感じるところに神の国は存在しているのである。

 では、神の国に入るにはどうしたらいいのだろうか。
1.信じ、委ねて生きること
イエス・キリストの十字架、これが鍵である。マタイ27:50、51では、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたことが記されている。神殿の中には、聖所があり、その中には、祭司のみが入り、人々の罪の贖いのために動物を捧げていた。さらにその奥には、至聖所があり、祭司の長である大祭司のみが1年に一度入り、人々のために贖いの犠牲を捧げていたのである。この聖所の入り口の垂れ幕が裂けたのである。つまり、主の十字架は救いの完成であり、私たちは主イエスという犠牲、贖いの血によって、罪赦され、至聖所に入り神と直接向き合う特権を与えられたのである。神の国に入る為に、主の十字架の贖いをもう一度しっかりと心に受け止めて日々歩んで行く必要がある。

2.マルコ10:15「幼子のように」
幼子とは、乳飲み子の意味である。すなわち、親の支えがなければ何もできない子のようになることである。それは、100%の信頼によって、親に全てを委ねている状態である。このように、全てを主に信頼し、委ねている存在が、幼子のようになることである。
私たち一人一人が、神の国の幸いに与りたいと願う。


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