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2009/12/13(日) 「十字架の叫びがクリスマス」大嶋博道牧師
アドベント(3)礼拝 (聖書)マルコ15:33〜41
序 論:
今年のアドベント礼拝では一貫してクリスマスを実現に至らせたものが何なのかを強調して学んでいます。今日はマルコ15章33〜41節を通して更にこの事を学びます。それは、「主イエスの十字架の叫び」であります。2000年前、主イエスは私たちの罪を背負って十字架に架かり、最後に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わたしの神、わたしの神、どうしてわたしを断絶されたのですか)」と断末魔の叫び声をあげられました。

この叫びは、2000年を経た現代に生きる私たちの叫びでもあります。主イエスは私たちに代わって神に対して悲痛な叫び声を発せられたのです。そして、「この叫び声」こそクリスマスをもたらす大きな原因になったのです。つまり、主イエスは神の子でありながら、あえて人間の姿になられ、仕える僕として私たちの罪を全部引き受けて下さり十字架に架かって贖いの死を成し遂げて下さったのです。十字架の贖いの死を遂げるために誕生されたイエス・キリスト、つまり、救い主イエスの誕生は十字架の叫びのためであったと言えます。

いったい、クリスマスは世間一般が思っているような楽しいものなのでしょうか。神の独り子が33年後に十字架に架かられ「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれるスタートラインの
日がクリスマスなのです。人間には神にしか埋められない空洞があります。その空洞に主イエスの十字架が立っており、その空洞を唯一埋めることができるお方なのです。

本 論:
主イエスの叫びには次の2つの意味があります。
@人間は生まれながらにして罪深い存在であるということ。人は罪ゆえに神の栄光を受けられなくなっており(ロマ3:24)自分の望む事を実行せずにかえって憎んでいる事をする(ロマ7:15)のが人間存在の姿です。この罪ゆえの「死のからだ」が救われるためにはどうすれば良いのか。それは私たちの罪のために十字架上で断末魔の叫び声をあげられた主イエスを信じる事です。聖書のみ言葉を通してキリストを受け入れる時に私たちは変わるのです。

A十字架上の叫びは人間を救おうとされる神様の「究極の愛」の現れだと言うこと。(ヨハネ3:16参照)クリスマスは神がこの世界に冒険をされた日です。リスク(危険・犠牲・損)を顧みないで、神ご自身が独り子イエスを遣わして下さった喜びの日です。ここに真の愛が存在するのです。そして、ここにクリスマスがあるのです。十字架の叫びのあるところに、人類の救いがあり真のクリスマスが存在しているのです。主に心から感謝し、信頼して行きましょう。   


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