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2009/12/27(日)
「今年も背負われて」大嶋博道牧師
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年末感謝礼拝 (聖書)申命記1:29〜33 序 論: 今年1年は皆様にとってどんな年であったでしょうか。私自身は様々な場面で、「判断を迫られる年」でした。さて、神様は「インマヌエル−共にいてくださる方」「審判をされる方」「愛の方」「背負ってくださる方」等々といろいろな表現が出来ると思います。 イザヤ書46章4節によると「担い、背負い、救い出す」とあります。また同じくイザヤ書63章9節には「彼らを負い、彼らを担ってくださった」とあります。そして今日の御言葉の申命記1章31節には「主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た」とあります。この事から旧約聖書における神様の姿は、「私たちを背負い、持ち運んで下さる方」であると言えます。 特にイスラエルの民は荒れ野の40年間に、飲み水やマナをもって養われ、紅海の奇跡、神と民との契約である「十戒」を与えられることなどをとおして、まさに父が子を背負うように、神に背負われて長旅をしました。 本 論: では、「背負う」というのは具体的にはどういうことでしょうか。今日のみ言葉から次の3つの事を学びます。 @神様は「共におられ、共に歩まれるお方」であると言う事がその第1の事です。すなわち、神は「臨在の方」と言う事です。(「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」とのみ言葉 (出33:14)や「わたしはあなたと共にいる」(イザヤ41:10)のとおりです。
A神様は「生活に必要なものを備えてくださるお方」であると言う事がその第2の事です。すなわち、神は「配慮してくださる方」と言う事です。(「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたのことを心にかけていてくださるからです」(Tペテロ5:7)や「主の山に、備えあり」(創世記22:14)のとおり。もしあなたが求めているものが満たされないとしたらそれは神の目から見て今、あなたに必要がないからでしょう。引き続き必要なものを求めてください。そして祈り方、求め方を変えてみてください。
B神様は「未来を導かれるお方」であると言う事がその第3の事です。すなわち、神は「希望の方」であると言う事です。(「あなたのみ言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119:105)わたしの長い人生全体を照らす光であり、日常生活の身近な足元を照らす灯火です。このお方に将来への希望を抱いて信仰生活に励みたいと思います。 最後に「Foot Prints(足跡)」という詩を読んで終わります。 神様は、私たちが試練の中で最も苦しみもがいているときに、しっかりと背負って歩いて下さるお方なのです。ですから、浜辺の砂に神と私の2人の足跡ではなく、ただ神の足跡しかなかったのです。今年も背負われて一年を過ごしたことを感謝しましょう。
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