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2009/12/06(日)
「独り子をお与えになったほどに」畑中康雄勧士
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アドベント(U)礼拝 ヨハネ3:16〜17 ●今日のみ言葉は「小福音書」と言われ、救いの源は神であり、「神は愛である」と言う事がこのみ言葉に凝縮されています。 キリスト教は「愛の宗教」です。「愛」とは「他の人の為に自分の命を犠牲にする事」「敵を赦し、隣人を自分の様に愛する事」に尽きると言えます。その愛の業のご計画の中心が「独り子イエスの誕生」であり、「十字架上の死による罪の贖い」です。 イエスの誕生は罪人となってしまった人間の救いのためでした。独り子イエスは世を裁くために来られたのではなくて、神を信じる者が1人も滅びる事が無く救われるために来られたのです。
●では、何故1人の人によって、全ての人が救われるのでしょうか?それは1人の人によって罪が全ての人に入ったからです。創世記3章に人間が罪人となった経過が書かれています。人類の罪はアダムと言う1人の人を通して入りました。1人の人が神に背く事によって全人類に罪が入ったのです。この事を理解しないではイエスの聖誕と十字架による罪の贖いによって全人類が救われると言う神のご計画を理解する事は出来ません。それは、ローマ5章18節に「そこで、1人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、1人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。」とある通りです。
●罪ある身となっている私たちはどの様にしたら救われる事が出来るのでしょうか。 ロ−マ3章23節に人が義とされる秘訣が明らかに示されています。それは「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いを通して、神の恵みにより無償で義とされる。」とある通りキリスト・イエスの贖いにあずかる事です。 人は罪ゆえに神との正しい関係が持てなくなっていますが、キリストが私たちの罪を負って十字架に架かってくださった事を信じて神に従って行く事を告白する者には神と人との交わりが可能になります。 具体的には@礼拝を守りA聖書を学びB祈りをなしC聖礼典(洗礼式と聖餐式)を通して神の祝福にあずかる事により私たちは罪から解放されるのです。
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