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2009/03/15(日)
「荒れ野に響く歓喜の歌」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 (聖書)出エジプト15:19〜21 序 論: 聖書の中には幾つかの「賛歌」が記されている。 @ハンナの賛歌(祈り)―サムエル一2:1〜11 Aマリアの賛歌―ルカ1:46〜55 Bミリアムの賛歌―出エジプト15:20〜21 最初に出エジプト15:21のミリアムの賛歌の内容を見ておきましょう。 @まず、歌うよう促している―「主に向かって歌え」 Aその理由が書かれている―「主は大いなる威光を現した」 B賛美の内容―主はエジプトの強力な軍隊の馬と乗り手を海に滅ぼされた。
本 論: 私たちの「賛美」とは何かを改めて、この出エジプト記15章から学びたい。 (1)賛美とは「荒れ野」の真っ直中で響く祈りである。 賛美は、私たちが荒れ野の真っ直中に置かれたとき、試練や苦しみの中にいるとき、思い悩む時にこそなされるものです。力を失い、かすかな声で賛美しているうちに、神の臨在を感じ、神様がおられるのだから、もう一度初めからやり直そうという元気をいただきます。モーセとイスラエルの民は荒れ野で、危機の真っ直中で神のみわざを経験して歌ったのである。
(2)賛美は神への信仰告白の歌である。 賛美は神のみわざに対する信頼と期待である。イスラエルの民の信仰はまさに「信頼」と期待」であった。賛美とは、「私は、神さまをこういうお方だと信じています」という信仰告白と同じです。だから、今を主に信頼し、未来を主に期待して心の底から歌いたいものである。
(3)賛美は感謝と喜びの歌である。 ♪「感謝と喜びを」のプレイズにあるように、私たちは感謝と喜びを賛美としてささげたいものです。エフェソ5:18〜19に「むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、・・・」とある。パウロの賛美のあり方が紹介されている。
まとめ: 生涯の終わりの日まで「ハレルヤ」を歌い続けたい。人生の荒れ野に響く賛美こそ、本当の生きた賛美なのである。 賛美によって、神による深い希望、慰め、導きが与えられる。 一週一週、真剣な礼拝、賛美に満ちた礼拝を、一つずつ丁寧に捧げていくこと。その積み重ねが、神様と私たちとを深くつないでいくのである。 私たちは、自分の条件に左右されず、喜びの時も、悲しみの時も、神様へ賛美をささげて行こう。喜びの時も、希望が消えかかりそうな時も、賛美のある礼拝をささげられる神の民となって行こう。
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