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2009/03/08(日)
「彼らの信仰を見て」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 マルコ2:1〜12 序 論: 聖書の中には「信仰がある、信仰がない」「信仰が強い、信仰が弱い」という表現があります。信仰というのは目に見えないものです。いったい、何を規準にそのように表現するのでしょうか。 今日の聖書のみ言葉によると、イエス様は「その人たちの信仰を見て」(5節)、すばらしい奇跡のみわざをなされました。彼らのどのような信仰をご覧になったのでしょうか? 今日はこの事について学んでみましょう。 物話は、イエスがカファルナウムにおられた時の事です。ある家に招かれてみ言葉を語っておられました。そこに登場する人々とは「イエス・群衆・律法学者・中風の人・中風の人の4人の友人」であり、この中でスポットが当たっているのは「4人の友人たち」です。経緯はこうです。 あまりにも人が多く集まっていてイエスに近づく事が出来なかったので「4人の友人は中風の人を屋根を壊してつり下ろした」のです。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の者に向かって、 「子よ、あなたの罪は赦される」と言われます。そして、癒やしの奇跡を行われました。ここに、イエスは「信仰を見て」とあります。
イエスが信仰を見られた物語が他の箇所にも出てきます。 @マルコ5章25〜34節「あなたの信仰があなたを救った(34節) Aマタイ8章5〜10節「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節) Bマタイ15章21〜28節「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」(28節) これらの聖書の物語によるとイエスは人々の信仰を見られたのです。
本 論: イエスがご覧になられたこれらの人々の「信仰」とはどんな信仰だったのでしょうか。これらの物語をとおして、彼らに共通する姿を見ておきましょう。
@イエスを徹底的に信頼する信仰でした。 「一途でガムシャラな信仰」「決して諦めない信仰」、「どんな犠牲をも恐れない信仰」です。このような信仰を持っている者をイエスは受け入れられるのです。死に至るまで忠実に持ち続ける一途な、ひたむきな信仰をイエスは受け入れられるのです。
A愛によって働く信仰がその第2の信仰です。 ガラテヤ5章6節に「…愛の実践を伴う信仰こそ大切」とあります。愛の実践を伴う信仰こそ大切で、そのような信仰をイエスは受け入れられたのです。結局、人を動かし、人を変えることが出来るのは信仰に基づく「愛のわざ」です。私たちは信仰を土台とした愛を実践するときに、周囲の人々を動かすことが出来るのです。 まとめ: パウロは「信仰と希望と愛」が最後まで残ると言っています。そのうち「最も大いなるものが愛」なのです。 ガムシャラな信仰、直向きで一途な信仰を持ちましょう。そして、愛を土台とした信仰を持ち続けたいと願います。イエス様は必ずその人の「床を取り上げて」立ち上がって歩く奇跡を行って下さいます。
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