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2009/04/05(日)
「私のゲッセマネ」大嶋博道牧師
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受難週(パームサンデー)礼拝 (聖書)マルコ14:32〜42 〔受難週礼拝〕 序 論: 今日のみ言葉〜36節を通して「み心はどのようにして知る事が出来るのか」について学びます。ゲッセマネの祈りの箇所は受難週のみ言葉の中で大切な箇所です。先ず、イエスの受難(苦しみ)はどこから来ているのでしょうか。それは次の三つです。 @霊的な苦しみ〜神と自分との関係の中で引き起こされる苦しみ、神から見放されたのではないかと言う苦しみ。 A精神的な苦しみ〜多くの人にののしられプライドが傷つけられる苦しみ。 B肉体的な苦しみ〜鞭打ちによる肉体的な痛みの苦しみ。 ゲッセマネの祈りとは、「分岐点に立った時の祈り」ではないでしょうか。(分岐点は危機ーcrisisでもあります。) イエスは苦い杯を受けるかどうか祈りながら主の「み心」を求められました。それは大切な分岐点に立たれた時の祈りでした。34節には11人の弟子の中で「ペテロ・ヨハネ・ヤコブ」の3人を連れて行かれて祈られたとあります。苦い杯を取り除いて欲しい、しかし、主のみ心に適うようにと三回も祈られました。その時のイエスの祈りは血のしたたり落ちるような祈りでした。 さて私たちもゲッセマネの祈りの時があります。自分の生き方を神に問う時があります。あなたが人生の分岐点に立った時には安易に選択して行き方を決めないで、神様のみ心を求めて欲しいと思います。
本 論: では、神様のみ心を知る方法とは何でしょうか? @聖書のみ言葉に出会う、と言うのが第1の方法です。ウエッスレーは「私の生きる根拠は聖書だ」と言っています。普段からみ言葉に触れ、み言葉を味わい、み言葉に聴きながら信仰生活をしていただきたい。「み心」を知るのはそのようなあり方においてです。
A静かな、継続した祈りが第2の方法です。祈りとは神様との対話・交わりです。祈る事によって神様からのお導きがあります。どんな時にも神と向き合ってひたすら祈る時に、神様の「み心」は示されるのです。
B礼拝におけるメッセージに触れる事が第3の方法です。 礼拝や集会において、説教者をとおして語られるメッセージの中で、直面している問題や課題への答えや方向性を示されるのです。
Cそして最後に第4の方法はその問題にかかわっている関係者に相談する事です。その問題と直接関わっている信頼できる責任者や関係者にアドバイズを求めること。これも主のみ心を知る大切な方法です。
まとめ: 人生のゲッセマネで、このようにして「み心」を求めた時には、主への信頼と勝利の確信と、そして全き平安が得られるのです。
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