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2009/05/03(日) 「ホレブの山で主の前に立て」大嶋博道牧師
総員礼拝 (聖書)列王記上19:1〜19 

序論: 
17章で神の人と呼ばれるエリヤが登場する。続いて18章では、偽の預言者850人に対して、エリヤは神の力によって、劇的な勝利をする。しかし、19章では一転して、ひどく落ち込んだ「鬱(うつ)」状態のエリヤを見る。アハズ王の妻イゼベルはエリヤに使者を送り、明日のこの時間までにエリヤを殺すと宣言する。これを聞き、恐れたエリヤはベエル・シェバへと逃れていき、えにしだの木の下に横たわり、死にたいと神に願う。

 18章では、偽の預言者850人が、自分の神々に必死に祈った。それに対してエリヤは、唯一の真実なる神に祈った。エリヤの祈りは聞かれ、天より火が降り、雨が降った。力強い神の力を体験し、主の臨在を感じていたことだろう。それなのに、アハブとイザベルに命を狙われると、恐れて戦いの場から逃避して「死にたい」と神に訴えたのである。これは、急性の鬱(うつ)と呼ばれるものではないだろうか。エリヤが鬱になった理由は2点。
一つ目は、状況が変わらなかったこと。エリヤは劇的な勝利をした。しかし、偶像礼拝は依然として行われていた。
二つ目は、誰もエリヤを誉めなかったことである。
 しかし、やがてエリヤは、再び神に励まされ、回復して行き、新しい使命を与えられて再び戦いの場であるエルサレムへと向かう。
エリヤが憂鬱から回復し、新しい生命を戴いたのは、どういうことからだろうか。ここに、私たちが疲れて憂鬱状態から回復する方法を見る。

本論:

1.神の配慮の御手にゆだねる。
神の御使いは、2度もエリヤに現れ、触れ、食べ物を与えて励ました。神から与えられた配慮の食事をすること。イエス様は、十字架の前に弟子たちと食事を共に最後の晩餐をされた。また、復活された直後にも、まず弟子たちと食事を共にされた。「子たちよ、何か食べ物があるか?」と呼びかけられた。家族で共に食卓を囲むこと、そして霊的には共に主の晩餐に与ることは、心身の疲れを取り除く大切な手段である。

2.神の山ホレブで神の御前に立つ。
エリヤはベエル・シェバで食事を戴き、主の導きでさらに先のホレブに向かって出発した。「ホレブの山」はその昔、モーセが十戒を賜った聖なる場、神が臨在される場である。彼はホレブで神と出会ったが、弱音を吐き「洞穴」に籠ってしまった。彼自身のカラに閉じこもったのである。神に「出てきなさい」と言われても、出ることができなかった。神は、ご自身の臨在を示すため、風、地震、火を用いたが、エリヤは気づかなかった。神は、力強い大きな印ではなく、「静かにささやく声」をもってエリヤに語りかけた。
 この神の静かな、細き声を聴き取ったエリヤはようやく閉じこもっていた洞穴から出て、神の前にたったのである。

まとめ:
 私たちはしばしば、ホレブの山(神の臨在の中)におりながら、自分のカラに閉じこもり、神の前に立とうとはしない。恐れや疑いや不安などの洞穴に閉じこもっているのだ。
今朝、「主の静かな細きみ声」を聴こう。そして、大胆に主のみ前に立ち、主から力強い霊的ないのちを戴いて、疲れを回復させ、新たな使命の場に遣わされたいものである。
「主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)


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