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2009/06/28(日) 「アブラハムの転機」西脇衛士勧士
F.サンデー信徒礼拝 (聖書)創世記17:1〜8 
私たちの人生にはいくつかの転機がある。誕生、入学、就職、結婚、出会いと別れなど。そのような転機をどのように受け止めてきたかによってその人の人生も変わってくる。転機、それは竹の節のようなもの。その節が竹を強固なものとするのある。今朝、アブラハム175年の生涯の中で彼の人生の節をどのように迎えたかを見てみたい。

本 論:
 アブラハムのいくつかの転機について考えてみたい。
@神の声を聞いてた時・・アブラム、父と共にウルの町から召し出されて後、神の声を聞く。「私が示す地に行きなさい」 神はアブラハムを通して、イスラエルの民を興こし、神が救いのご計画をはじめようとされた。この時アブラハムは信仰によって神の声に無条件で従っていった。(創12:1・ヘブライ11:8)もしこの時、神様の声に従わなかったらアブラハムとその子孫に用意された無尽蔵の神の祝福とのちの人類の祝福はなかったかも知れない。私たちに与えられた神の約束と信仰を大切にしたい。

A神の約束を知らされた時・・アブラムには子供がなかったし、妻サラは子を産める年齢では無くなっていた。その時、神はアブラムに「お前の子孫を夜空に輝く星のように増やそう」と約束された。その時、アブラムは主を信じた。神はその信仰を見られて彼を義と認められた。律法による義では無く、信仰による義である。故に彼は「信仰の父」と呼ばれるのです。私たちも信仰によって義と認められた者である。

B暗黒の時に神の声を聞く・・不妊の妻を見て人間的な策略をし、アブラムは13年、神との交わりの絶えた暗黒の時を過ごす。その後アブラム99歳の時と聖書は明確に語っている。その時、神は自らを現わし「私は全能の神である。私は約束をしたことは決して忘れない」といわれ、「わたしの前を歩み、全き者となれ」とアブラムに求められた。神の全能を当てにする歩みである。その時名をアブラハムと変えられる。

C神に試みられた時・・アブラハムは約束のひとり子を捧げよとの神の声を聞いた時、アブラハムは従順に従った。復活(ヘブライ11:19)と神の全能を信じたのである。その時、神様は必要を備えて下さっていた。

結 論:
 アブラハムとて生まれながらの信仰の人ではなかった。 偶像の町、偶像に仕える家に生まれた。また欠点の多い人物でもあった。その彼が「信仰の父」と呼ばれる理由は何だった
のでしょうか。@聖別された人 A忍耐の人 B実行の人 C希望を持った人 D祈りの人であった。そして多くの試練と神の試みを経た人であった。
 
今、私たちは多くの試練と忍耐と試みに会い、祈りを必要とする生活の中にいるかも知れない。しかし「私は全能の神である」と宣言して下さる神により頼んで、全き者としての信仰生活を、また多くの試練、試みを信仰を持って通過し、人生の大きな節として頂き、アブラハムのように神の国を目指して信仰生活を続けていきましょう。


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